こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「歴史人」2021年7月号、「源頼朝と鎌倉幕府の真実」です。
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2021年7月号の特集は、なぜ頼朝は武家中心の幕府創設に至ったのか?「源頼朝と鎌倉幕府の真実」です。
これは、2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を先取りする形ですね。
本号がとり上げる人物と時代は、源頼朝と鎌倉幕府勃興期。「鎌倉殿の13人」の時代設定と重なります。
源平合戦から弟・義経との確執、そして「史上最初の武家政権誕生」に至るまで!
本誌には、時代考証の解説から人物相関図、義経・政子ら関係者の生涯など、興味深い記事がずらり。
でも、やっぱり注目したいのはこのひと、源頼朝です。
このひとが、明治まで約700年にわたって続く武家政権の礎をつくりました。
武家政治の創始者、源頼朝とはどんな人物で、どんな生涯を送ったのか…。
今日は「歴史人」2021年7月号から、源頼朝にスポットライトを当てて、貴族社会から武家社会へ、その転換点を旅してみましょう。
■源頼朝の真実
この歴史に残る英雄、源頼朝という人物。
凛とした肖像画で王道を邁進したイメージがありますが、実はその生涯は波乱万丈。逆転人生というべき生涯でした。
源頼朝は、久安3年(1147年)、源義朝の3男として生まれました。
若くして宮仕えして頭角を現し、貴族社会で活躍します。
頼朝の運命を大きく変えたのは、平治元年(1159年)に起きた平治の乱でした。
初陣となったこの戦いで頼朝は敗北。伊豆に配流されました。
この戦では、強大な敵・平清盛を前に、父・義朝や兄が落命。
捕らえられた頼朝も斬首必至でしたが、宮仕え時の縁者らの助命要請により救わました。
配流された伊豆でも、頼朝は綱渡りの人生を歩みます。
彼を監視していた伊東祐親に子を殺され、自らも命を狙われると、からくも北条時政のもとに脱出します。
そこで、時政の娘・政子と運命的な出会いを果たして結婚。
北条家の保護のもと、安達盛長や足立遠元ら「鎌倉殿の13人」の支持を集めていきます。
■頼朝挙兵
やがて、京で政変が起きます。平清盛が後白河法皇を幽閉して権力を掌握。
その余波が伊豆に及ぶと、反平氏の機運の高まりを受けて、頼朝は挙兵を決断します(1180年)。
しかし、緒戦となった石橋山合戦で、頼朝は平家軍に大敗してしまいます。
九死に一生を得た頼朝は房総半島に脱出。そこで再起を図ることとなりました。
不思議なもので、そんな敗軍の将・頼朝を相模・上総武士たちは支持し続けました。
頼朝の威厳ゆえか、平家憎しゆえか…。頼朝軍は衰えるどころか、逆に肥大化・強大化していきました。
捲土重来、やがて鎌倉に入った頼朝軍は、駿河の地で平家軍と激突(富士川合戦)。
この戦いで圧勝した頼朝は、関東の平家軍を駆逐し、南関東の覇者となったのです。
この富士川合戦に際し頼朝のもとに駆け付けたのが、末弟の義経でした。
戦の天才ともいうべき義経は、一の谷の戦い(1184年)で宿敵・平家に圧勝。
勢いそのまま平家軍を追って西征し、ついに壇ノ浦の戦い(1185年)で平家を滅亡させました。
■鎌倉殿の13人
こうして平家を打ち滅ぼし、源氏の再興を果たした頼朝。
この後、義経との決別や奥州合戦を経て、征夷大将軍職を獲得。この後700年続く武家政治の礎を築きました。
歴史ファンにとっては、群雄割拠の戦国時代や幕末維新の時代が人気です。
ただ、よくよく見てみると、鎌倉時代も多彩な武将が躍動しています。
「鎌倉殿の13人」なんて歴史ファンでもよく知らないですが、「歴史人」を見ると、いずれも一筋縄でいきそうもない人物で面白そう…。
三谷幸喜さんの手で、極上のエンターテイメントになりそうです。
大河ドラマ放映まで、まずは「歴史人」で予習しておくのもいいかもしれません。
「歴史人」2021年7月号「源頼朝と鎌倉幕府の真実」。源頼朝をはじめ多彩な武将たちが駆け巡る鎌倉絵巻を楽しみませんか。
ありがとう、歴史人! ありがとう、「源頼朝と鎌倉幕府の真実」!