徳川家康(3)朝露の巻!狙うは義元の首ただ一つ…決戦!田楽桶狭間

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今日の夢中は、徳川家康(3)朝露の巻!狙うは義元の首ただ一つ…決戦!田楽桶狭間です。
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■あらすじ

織田家から今川家の人質として駿府に移った竹千代…。後の徳川家康
14歳のときに元服して、松平次郎三郎元康と名乗ります。

さらに16歳のときに、今川義元の姪・瀬名と結婚。今川氏との関係を密なものとします。
やがて初陣で戦功をあげた元康は、いよいよ義元が催した上洛戦において先鋒を命じられます。

ときは永禄3年(1560年)。大軍を擁した今川軍が尾張への侵攻を開始します。
元康ら松平軍は、織田方の丸根砦を攻め落として、大高城に入城します。戦勝に沸く今川軍…。

義元が戦勝を祝って持参の酒盃を手に、田楽桶狭間で休息をとります。
このときを待っていた男がいました。尾張の織田信長…。

これまで全く動きを見せなかった織田軍が、突如動き出します。
その軍は疾風のごとく、桶狭間の地へ向かったのでした…。果たして、戦いの行方は?元康の運命は…。


徳川家康(3)

■桶狭間の戦い

山岡荘八「徳川家康」全26巻
その第3巻「朝露の巻」では、家康にとっても戦国期においても激動の時代が描かれます。

天文24年(1555年) 竹千代、元服して次郎三郎元康を名乗る
弘治3年(1557年) 元康、関口親永の娘・瀬名と結婚する
永禄元年(1558年) 元康初陣、織田氏に寝返った寺部城主・鈴木重辰を攻める
永禄2年(1559年) 元康に長男・竹千代(後の信康)誕生
永禄3年(1560年) 桶狭間の戦い

なんといっても、この巻のハイライトは、終盤で描かれる「桶狭間の戦い」でしょう。
ここに至る過程で、後に家康のライバルとなる木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)も登場します。

この藤吉郎が、本書で「水魚相合う」と称されるように、信長と出会うとその信頼を勝ち取ります。
藤吉郎は、信長の意をくんで今川軍の侵攻する街道筋に諜報網を展開…。その動向を逐一把握して信長に知らせます。

これが織田と今川の命運を決しました。義元が田楽桶狭間で昼食の支度にかかると…。
それを待っていたかのように、突如として信長が動き出します

信長は瞬く間に二椀食べて、箸をおくのと兜を取るのと、
「貝を吹け」 命じておいて、「猿来いッ」
太刀をわしづかみにして奥の館を走り出すのとが一緒であった。

疾風のごとく、織田軍は駆けだします。めざすは田楽桶狭間…。
「義元の本陣へ斬り込むまでは声を立てるな。よいか。義元以外の首は討たずに踏みにじれッ」。

そして、雷鳴の鳴り響くなか、ついに信長軍の精鋭が義元のいる本陣に突撃します。
今川義元のもとに斬りこむ服部小平太、そして毛利新助…。その激闘は、紙面から息遣いが伝わってくるほどすさまじい…。

そして、この第3巻は、戦国史にも時代小説史にも残る名文で幕を閉じます。

駿、遠、三の太守(今川義元)は、こうして信長の野武士を真似た新戦法のもとで、毛利新助の指一本を食い千切ったまま田楽狭間の露と消えた。

まさに戦国時代の一大転機となった桶狭間の戦い
この後、織田信長は天下統一へ大きく飛躍していくことになるのです。一方、織田方の最前線に取り残された元康(家康)の運命はいかに?
その続きについては、またブログ「夢中図書館」にて紹介することにしましょう。

ありがとう、徳川家康! ありがとう、第3巻「朝露の巻」!

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