太宰治「右大臣実朝」近習が明かす鎌倉殿の裏側…実朝、義時、公暁の人物像

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館長のふゆきです。

今日の夢中は、太宰治「右大臣実朝」近習が明かす鎌倉殿の裏側…実朝、義時、公暁の人物像…です。
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■右大臣実朝

今日とり上げる一冊は、太宰治著「右大臣実朝」
鎌倉幕府3代将軍にして武士として初めて右大臣に任じられた源実朝を描く歴史小説です。

文豪・太宰治がこんな歴史小説を執筆してたんですね…。太宰は少年の頃から実朝を書くことを念願していたといいます。
実朝の悲劇的な生涯が太宰を惹きつけたのでしょうか、戦時下という当時の時代背景が背中を押したのでしょうか…。


右大臣実朝/太宰治

「右大臣実朝」は、3代将軍源実朝の人生を、その近習が回想して語るという形で展開していきます。
ところどころに「吾妻鏡」などの史書の記述を挟みながら、実朝の治績や鎌倉で起きた事件の数々が、時系列で語られていきます。

実朝の相模川橋修理等における親裁や、和田合戦に至る経緯や顛末、唐船建造による渡宋計画など…。
あまり一般には知られていない史実も取り込み、読者の前に実朝治世下の鎌倉の様子が再現されていきます。

太宰は、執筆にあたって相当な史料を集めて読み込んだようです。
当時、小説とはいえ、これだけ詳しい実朝論を展開するものはなかったのではないでしょうか。

そして訪れる悲劇的な最期…。それは不慮の悲劇だったのか、必然の帰結だったのか…。
さまざまな思いが残る作品です。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ファンにもおススメの一冊です。

■源実朝

「右大臣実朝」には、鎌倉期に実在した様々な人物が登場します。
歴史上の事件は変えられるものではありませんが、そこに関わった人物像については様々な推察が可能です。

この作品で個人的に最も感嘆したのは、史実では記されない人物像の描写の部分です。
太宰の洞察眼というか、史実から人物像を推察する目利き力のようなものを強く感じました。

これぞ小説の面白みですよね…。事実かどうかを抜きにして、「右大臣実朝」の世界で、太宰の描く人物が躍動し、苦悩し、生命を全うします。
特に、本作に登場する人物の中で引き込まれたのは、源実朝、北条義時、公暁の3人です。

まずは、源実朝
和歌に耽溺した名ばかり将軍…そんな風にも評される実朝ですが、太宰の描く実朝は真逆です。

霊感のあるスピリチュアルな存在…神君ともいうべき名君です。
先を見通す目が常人ではない。不思議な夢見で合戦を予知したり、顔を見てその人の運命を予言したり…。

そうした人知を超えた挿話だけでなく、御家人同士の諍いなど実務でも実朝の判断は冴えわたります。理路整然と「三浦ガワルイ」と裁断したり、北条の申し出を「ダメデス」と却下したり…。
近習曰く「凛然」あるいは「峻厳」と評するほど。相模川の橋修理では、頼朝落馬以来不吉として工事が進まないものを、旅人や庶民のために一刻も早く修理に取り掛かるよう親裁を下し、重臣らを感服させました。


源実朝「東国の王権」を夢見た将軍/坂井孝一

■北条義時

ただ、その実朝が、建暦3年(1213)勃発した和田合戦辺りから、政治の一線から身を引くようになります。
そこに大きく影響を及ぼした人物が、ときの執権・北条義時です。

こちらは、実朝とは対照的に、超現実的で合理的な人物として描かれます。
近習曰く「なんとも言へぬ下品な匂ひ」があった…。北条さえ良ければという考えや振舞いが「下品」という言葉に表されたのかもしれません。

さらに「暗い」とも…。「正しいことをすればするほど、そこになんとも不快な悪臭が湧いて出る」と、近習の言葉は辛らつです。
この言葉通りに、和田合戦において義時は「正しいこと」として和田義盛の一族を滅ぼします。
和田義盛は、実朝のお気に入りの武将でした…。このとき、実朝が漏らす言葉がなんとも切ない…。

「関東ハ源家ノ任地デシタガ、北条家ニトッテハ関東ハ代々ノ生地デス。気持チガチガヒマス。」


鎌倉殿の13人後編(NHK大河ドラマ・ガイド)

■公暁

もう一人印象に残る人物が、公暁です。
後に凶行に及ぶ実朝の甥は、終始にこにこ笑う愛想のいい人物として最初登場します。

このとき12歳の公暁に実朝が語りかける言葉が、なんともスピリチュアルで含蓄あるものです…。

「学問ハ好キデスカ…無理カモシレマセヌガ、ソレダケガ生キル道デス。」

やがて成長した公暁が、海辺で語り手の近習と語らう場面があるのですが、これがまたゾクっとするほど印象的です。
自らを「軽薄な見栄坊」「田舎へ落ちて来た山師」と卑下する公暁ですが、言葉の節々に実朝に対する嫌悪や自らの野望が秘められています。

その行動も象徴的です。実朝の造った唐船の底から蟹を捕らえると、船板にぐしゃりと叩きつけます。
それを5匹集めると、砂浜でむしゃむしゃ食べたのです…。後に残ったのは「掃溜(はきだめ)のやうな汚なさ」でした。


(公暁像/大泉寺より)


物語は、実朝の最期を、吾妻鑑などの史書を引用して記して終わります。それに関する近習の語りはありません。
そのことがなおのこと、近習という語り手の口を借りた太宰の人物評の重さを知らしめることになっているように感じました。

史実の影には必ずひとがいます。源実朝、北条義時、公暁…そのとき彼らはどんな思惑を抱いていたのか…。
いろいろと考えさせられる太宰治「右大臣実朝」でした。

ありがとう、「右大臣実朝」! ありがとう、太宰治!

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