次の将軍は誰?実朝、後鳥羽、北条氏それぞれの思惑…「源氏将軍断絶」より

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今日の夢中は、次の将軍は誰?実朝、後鳥羽、北条氏それぞれの思惑…「源氏将軍断絶」より…です。
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■後継将軍不在

次の将軍をどうするか?
ときは建保年間(1213~1219)、鎌倉幕府はゆゆしき問題に直面していました。

後継将軍不在…。3代将軍・源実朝には、結婚12年が経っても実子が生まれませんでした。
他にも頼朝の血を引く公暁ら2代将軍・頼家の遺児はいましたが、幕府にその意思はありませんでした。

ここで実朝は驚くべき構想を立ち上げます。
京にいる後鳥羽上皇の皇子を鎌倉に招来して将軍に推戴できないか…。

親王将軍推戴…。この構想の実現に向けて、ときの有力者たちが動き出します。
この経緯や背景について、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代考証を務める坂井孝一氏が著書「源氏将軍断絶」で詳述しています。


源氏将軍断絶(新書)/坂井孝一

いま、まさに佳境を迎えている「鎌倉殿の13人」
あの人この人を思い浮かべながら、親王将軍推戴に至る関係者の思惑を推理していきましょう。

■三者三様の思惑

親王を将軍に推戴するという構想の実現に向けて、建保6年(1218)幕府が動き出します
北条政子が突然上洛すると、そこから一気に事が進んでいきます。このとき政子は藤原兼子と面会し、親王下向を相談したものと思われます。


(北条政子/イラストACより)

北条政子は実朝の母、藤原兼子は後鳥羽上皇の乳母です。2人の母が重要な交渉を担ったんですね…。
後鳥羽上皇は、兼子から話しを聞くと、この実朝の提案を快諾しました。

後鳥羽はときの最大権力者であり、能力的にも「並みはずれたマルチな才能に恵まれた希代の帝王」(本著より)でした。
後鳥羽にとって、東国鎌倉に生まれた軍事政権は、脅威であるとともに目障りであったと思われます。

なんとかして、幕府の軍事力を掌握できないか…。そんな野望を秘めていたときに、和歌や官位などを通じて自身の側に取り込んでいた実朝の提案です。
自身の皇子(親王)を将軍に立て、実朝に後見させれば、労せずして幕府をコントロール下に置き、「組織ごとその軍事力を掌握・利用することができる」(同)。後鳥羽は構想に乗りました。


(錦秋の京都/写真ACより)

一方、当事者の実朝の思惑はどうでしょうか。
実朝は、王家の親王を将軍に迎えることで、自分の実子より高い格と権威を持つ後継者を確保することができます。

しかも、親王将軍は東国や武家を何も知らないので、自身が後見することで「親王将軍に自分の政治方針を注入する」(同)ことができます。京と鎌倉の協調路線も強固なものにできるでしょう。
しかも将軍の座を離れることで、自身の自由も獲得できます。大好きな和歌にもっと打ち込める…。実朝は構想実現に前のめりだったと思われます。


(源実朝歌碑/由比ガ浜)

それでは、幕府の実質的な権力者・北条氏はどうでしょうか。
実は、頼朝の血筋で言えば、後継将軍は2代将軍頼家の子、公暁や千幡という選択肢もありました。

しかし、政子・義時ら北条氏にとって、その選択肢は取り得ないものでした。なぜなら、自分たちが頼家を暗殺し、その嫡子・一幡も殺しているのですから…。
頼家の血筋を「将軍すなわち主君に戴くのがいかに危険なことか、政子・義時たち本人が一番よくわかっていたはずである」(同)。

だから北条氏は何としても実朝に実子が欲しかったはずですが、それが無理となったとき、王家の親王という代替案は相当な魅力に映ったはずです。
親王将軍となれば、幕府の権威が高まるだけでなく、義時ら北条氏の権威もこれまで以上に高くなる…。北条氏も構想に乗りました。

■源氏将軍断絶

こうして、後鳥羽上皇、将軍実朝、執権北条氏、それぞれ思惑は異なりながらも、メリットのある親王将軍推戴という構想に乗りました。
この後、実朝が異例の速さで昇進していきますが、それは後鳥羽が「親王の後見役となる実朝をできるだけ高い地位に引き上げようと必死だった」表れと坂井さんは指摘しています。

そしてついに、実朝は武家として初となる右大臣に昇進します。
これは「武家ではとうてい到達することのできない想像を絶する高い地位」(本著より)でした。


源氏将軍断絶(kindle版)/坂井孝一

それほど、後鳥羽は実朝に期待したし、親王将軍実現を夢見ていたのでしょう。
もちろん実朝も感謝したはずですし、実朝を支える北条氏にとっても晴れがましい気持だったと思われます。

しかし、その右大臣昇進を祝う拝賀式において、悲劇が起きます。実朝暗殺…。
凶刃を振り降ろしたのは、実朝の甥にあたる公暁…。2代将軍頼家の遺児でした。

このことにより、親王将軍推戴という構想は一転、白紙に戻ります
もちろん北条氏は進めようとしたのですが、信頼する実朝を失った後鳥羽が態度を変えたのです。
そして、このことが承久の乱につながっていくのですが、これは坂井孝一さんの著書「承久の乱」が詳しいのでここでは述べることはしません。


さて、本著「源氏将軍断絶」ですが、そのなかで坂井さんが興味深い指摘をしています。
一見すると、実朝暗殺によって源氏将軍が断絶したように見えますが、実はその後、頼朝嫡流ではないのですが、源氏将軍と血縁関係にある三寅(藤原頼経)が将軍に就きます。

これは、仮に後鳥羽の親王が将軍として下向していたら実現していないことでした。
さらに言えば、いちど親王将軍が推戴されていたら、源氏一族に将軍を戻すことは難しかったものと思われます。

「源氏将軍断絶」とは、実朝暗殺によって起きた自明の事柄ではなかった。
むしろ、実朝が生き続け、後鳥羽の血統による将軍が推戴されて存続することこそ、正真正銘の「源氏将軍断絶」だったと考える。

果たして、大河ドラマではどのように描かれるのでしょうか…。歴史の「if」は面白いですね…。
今日の夢中は、坂井孝一著「源氏将軍断絶」でした。実朝だけでなく、頼朝挙兵から頼家の悲劇、幕府の内部抗争まで内容盛り沢山。「鎌倉殿の13人」ファンにはたまらない内容ですよ…。

ありがとう、坂井孝一さん! ありがとう、「源氏将軍断絶」!

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