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館長のふゆきです。
今日の夢中は、歴史人「徳川15代将軍ランキング」総合1位は?町人人気1位は?女好き1位は?です。
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■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2023年11月号でとりあげるのは、260年もの泰平の世を築いた徳川政権"江戸時代"です。
特集名は、「徳川15代将軍ランキング」。
初代家康から15代慶喜まで、徳川将軍のすべてが分かる保存版特集です。
表紙にずらりとならぶ、15人の徳川将軍たち。皆さん、何人知ってるでしょうか?
映画やドラマの主役を張るほどの有名将軍から、ほとんど名前も知らない将軍もいるのではないでしょうか。
実際に、その素養や功績を見ても、十人十色…ならぬ十五人十五色。
歴史に刻むほどの功績を挙げた英傑から、将軍としての能力に欠けた暗愚な人物まで…。
そんな歴代将軍たちの人物像や治世、外交手腕や経済センスなど、その人となりの数々を明かしていく大特集。
それが歴史人11月号の特集「徳川15代将軍ランキング」です。さあ、歴史人の誌面から江戸徳川の治世へ時を超えた旅に出かけましょう。
■徳川15代将軍の顔ぶれ
まずは、徳川15代将軍の顔ぶれをざっと見てみましょう。
在位期間や簡単なコメントを付しました。江戸泰平の世260年を統べたのは、どんな将軍たちだったのでしょうか…。
初代 徳川家康(在位:1603年~1605年)
戦国乱世に終止符を打ち江戸に幕府を開いた英傑。
江戸を開発して天下普請で城も築城。将軍を退いても大御所として君臨し、大阪の陣で豊臣家を滅ぼし徳川政権を盤石なものとしました。
2代 徳川秀忠(在位:1605年~1623年)
家康が築いた幕府を引き継いだ堅実な2代目。
家康の死後、相次いで大名を改易して権勢を誇示。娘の和子を天皇に入内させ、朝廷と公家の掌握も図りました。
3代 徳川家光(在位:1623年~1651年)
幕府の基礎を築いた生まれながらの将軍。
島原の乱を鎮圧、参勤交代を制度化し武断政治の集大成を図りました。対外的には鎖国制度を確立、徳川政権の基礎をつくりました。
4代 徳川家綱(在位:1651年~1680年)
父家光の病死により11歳で将軍に就任、幕政は重臣たちの主導で行われました。
そのため「左様せい様」という異名も…。一方で合議を重んじる施政で幕政は安定し、武断政治から文治政治への移行が進みました。
5代 徳川綱吉(在位:1680年~1709年)
兄家綱に跡継ぎがいなかったことで急遽将軍の座に。暗君か名君か評価が分かれる犬公方。
悪法とされる「生類憐みの令」は庶民の反発を買いました。一方で経済は大きく成長し元禄文化が花咲きました。
6代 徳川家宣(在位:1709年~1712年)
名君の誉れ高い48歳で就任した遅咲き将軍。48歳での就任は徳川15代のなかでは最高齢。
その分思慮深く、お世辞や追従なども嫌ったといいます。綱吉時代の政策をあらため、「正徳の治」と呼ばれる様々な施策を断行しました。
7代 徳川家継(在位:1713年~1716年)
父家宣の急死で5歳で将軍就任。徳川15代で最年少の将軍です。
そのため側用人や老中らが政務を執りますが、政情不安定になるのは避けられませんでした。家継は病弱のため8歳で早世しました。
8代 徳川吉宗(在位:1716年~1745年)
御三家から初めて就任した将軍。財政改革や都市開発などを進めた名君。
享保の改革を主導し、質素倹約を自らも実践。江戸の防火対策を進め新田開発を慫慂するなど、幕府の窮地を様々な政策で対応しました。
9代 徳川家重(在位:1745年~1760年)
言語障害など多くの障害を抱えながらも吉宗の意向で将軍就任。
温厚な性格とされる一方で、女好きで酒好きという評価も。政権運営は有能な家臣が担いました。
10代 徳川家治(在位:1760年~1786年)
名君吉宗の孫。幼い頃その吉宗の膝に抱かれながら帝王学を授けられたといわれます。
文武共に才があったとされますが、政治は側近を重用しました。その一人が田沼意次。新たな経済政策を進めますが、家治の死と共に意次は粛清されました。
11代 徳川家斉(在位:1787年~1837年)
在位期間は50年と歴代最長。さらに側室と子の数も歴代将軍最高、精力絶倫将軍などといわれます。
政治では寛政の改革の推進と失敗を経験。文化面では町人文化が成熟し葛飾北斎らの浮世絵が流行しました。
12代 徳川家慶(在位:1837年~1853年)
国内外に問題が山積。内政や外交の失策で幕府の権威を失墜させました。
内政では天保の改革を推進するも失敗、外交ではペリー来航の難局が訪れるなか死去。時代の変化に対応できませんでした。
13代 徳川家定(在位:1853年~1858年)
開国を求める外圧が高まるなか将軍に就任。無能で癇癪持ち…暗愚なエピソードの多い将軍です。
普段は聡明で思いやり深い人物だったとも言われます。ただこの時代に必要なのは強力な統率力。家定には荷が重すぎました。
14代 徳川家茂(在位:1858年~1866年)
幼少期から人柄がよく将来を嘱望された若き将軍。幕末動乱期に13歳で将軍に就任しました。
公武合体を推進、長州征伐の軍を率いて上洛するなど国難に対処しましたが、21歳という若さで病死しました。
15代 徳川慶喜(在位:1866年~1868年)
家康以来の英傑と期待された最後の将軍。幕政改革を推し進めましたがすでに時遅し…。
薩長との対立が深まるなかで政権を朝廷に返上するという大政奉還を決断。260年にわたる徳川政権に幕を引きました。
■徳川15代将軍ランキング
それでは、そんな徳川15代将軍のランキングを見てみましょう。
歴史人は、NHK「歴史探偵」などでお馴染みの河合敦さんを監修に、歴代将軍の能力を外交手腕、教養、経済的センス、統率力、内政力から評価。
それぞれ20点配点として100点満点で採点。果たしてランキングの結果は…?
注目の徳川歴代将軍ランキング、15人全員が採点されていますが、そのなかで総合ベスト3はこちら。
1位:徳川家康90点 2位:徳川吉宗85点 3位:徳川家光78点
これは多くの人が納得する結果ではないでしょうか。
1位の家康は文句なし。幼少期から数々の苦難を乗り越えた経験値は群を抜きます。2位の吉宗も幕府成立100年の衰退期を享保改革で乗り越えました。
3位の家光は参勤交代や鎖国などの幕府の諸制度を確立。彼は祖父家康を崇拝、施政でも家康を参考にしました。
一方で、鳥羽伏見の戦いで敵前逃亡した慶喜が4位、生類憐みの令で庶民を苦しめた綱吉が7位というのは、ちょっと違和感…。いろいろと再評価が進んでるんでしょうね。
さらに誌面には、各項目別のランキングや、総合評価の項目にはない雑学番付も掲載されています。
外交手腕や教養、内政で家康が最高評価される一方で、経済や統率力では吉宗が家康を抑えているのは興味深い。
窮地に陥っていた幕府の財政を立て直した吉宗の経済手腕が高く評価されています。ちなみに、教養で慶喜や綱吉も高評価。ポテンシャルはあったんだよね…。
「雑学番付」では、総合評価では上位に入っていない将軍の名前も…。
「町人人気」「徳の高さ」で1位にランキングされているのは、6代家宣。先代綱吉は生類憐みの令の継続を遺言しましたが、庶民の苦しみを知った家宣は、将軍就任後ただちにこの法令を廃止しました。
「側室の数」「子だくさん」の項目では、11代家斉が1位を獲得。
さすがは精力絶倫将軍…。この時期、大奥で使われる予算のせいで幕府の財政は大きく傾いたといいます。将軍、ほどほどにしといてください…。
他にも興味深いランキングがいっぱい。誌面には、各将軍のくわしい評価や功績などが記載されているので、歴史好きの方は必読です。
これを読むと徳川15代将軍のすべてが分かるという触れ込みは決して間違っていない…。あなたも歴史人の誌面から、徳川将軍の人物像を深掘りしてみませんか?
ありがとう、歴史人! ありがとう、特集「徳川15代将軍ランキング」!