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館長のふゆきです。
今日の夢中は、永井路子「執念の家譜」伊賀氏の変から宝治合戦へ…北条対三浦!執念の戦いです。
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■伊賀氏の変
内部抗争の果てに多くの有力御家人が散り消えた鎌倉時代初期…。
最後まで生き残ったのが、北条氏と三浦氏でした。
その北条氏と三浦氏が、ついに武力衝突のときを迎えます。
それが、宝治元年(1247年)に起きた鎌倉幕府の内乱「宝治合戦」です。
この北条と三浦の因縁の戦いを描いた小説があります。
それが、今日紹介する永井路子さんによる小説「執念の家譜」です。
永井さんと言えば、「炎環」や「北条政子」などの著作で知られる、鎌倉時代の歴史小説の第一人者。
その著作のなかで、宝治合戦から30年ほど前に繰り広げられた、北条義時と三浦義村の刃を交えない熾烈な戦いを描きました。
「執念の家譜」でも、宝治合戦の前段で、三浦義村が北条氏打倒を仕掛けた「伊賀氏の変」が描かれます。
「俺はこの日を待っていた」。義村は、義時(すでに死去)の未亡人・伊賀局とその兄弟を動かし、クーデターを画策したのです。
まさに執念の男、三浦義村…。今度こそよし!「九分九厘成功を疑わなかった」義村のもとに、思いがけない人物が訪れます。
尼御台・北条政子…。三浦氏の陰謀に気づいた政子が、決起に先がけて義村の動きを封じたのです。
恐るべし、政子…。そして、恐らくはそれを指示した義時の子、ときの執権・北条泰時。
結局、クーデターの首謀者として伊賀兄弟は配流、伊賀局も伊豆へ蟄居。三浦氏には何の咎めもありませんでしたが、その日から目に見えて、義村は覇気を失っていきました。
■宝治合戦
伊賀氏の変から20年近くは平穏な月日が流れます。
「なまじの怨念なら溶けて流れてしまう歳月」ですが、しかし両者の戦いは終わりませんでした。
この間、三浦義村は死んでいましたが、その執念を受け継いだのが、義村の子・光村です。
そもそもこの光村は、幼名「駒若丸」のときに公暁に仕え、実朝暗殺事件に間接的に関与。北条氏への怨念を胸に抱えた人物でした。
光村は、4代将軍・藤原頼経の近臣として仕えると、将軍の周りに幕府の有力者たちを集め、執権北条氏に対抗する将軍派を形成していきました。
北条一族の名越家なども取り込み、ついに北条打倒へ…とほくそ笑んだとき、またも北条氏に出し抜かれます。
ときの執権・北条経時は、頼経の将軍職を奪うと、後に京に追放。このとき将軍派の名越家なども一掃させられました。
ここに至り、ついに光村は兵を挙げることを決意します。これまで決して刃を交えることなく戦ってきた北条氏との対決へ…。
北条氏対三浦氏の決戦「宝治合戦」の顛末は、歴史が示す通り、三浦氏は北条氏に敗れ、三浦一族は自害して果てました。
それにしても、この合戦を含めて、北条氏と三浦氏のせめぎ合いは何ともスリリングです。三浦氏の執念もすごいですが、それをことごとく潰した北条氏の執念もまたものすごい…。
宝治合戦に向かう局面で、光村と兄泰村のやり取りがあるのですが、ここが物語のハイライトの一つです。
泰村は、一貫して北条氏との協調を模索してきた人物。光村も兄とは距離をとっていたのですが、この最終局面に至り泰村がある決断を下します。それは、三浦一族の「執念の家譜」が成せる決断でした…。
(三浦一族のやぐら/鎌倉市)
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ファンにはぜひ一読してほしい…。北条氏と三浦氏の執念の決戦を描く歴史小説です。
これ、ドラマ化してくれないかな…鎌倉殿の後日譚として。そんな期待も高まる、永井路子さんの小説「執念の家譜」でした。
ありがとう、永井路子さん! ありがとう、「執念の家譜」!