歴史人「徳川家康の真実」!家康の生涯と決断…その時家康はどうした?

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、歴史人「徳川家康の真実」!家康の生涯と決断…その時家康はどうした?です。
「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどころを綴る読書ブログです。あなたのお気に入りの一冊を見つけてみませんか?

■歴史人

いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」
2023年2月号は、やっぱり来ました、徳川家康特集!

大河ドラマ「どうする家康」放映スタートで、あらためて注目を集める徳川家康…。
その生涯を大特集!最新研究でわかった新しい家康像も…「徳川家康の真実」です。


歴史人2023年2月号

これは大河ドラマファンにはたまらない。「歴史人」渾身の家康特集…。
大河ドラマの時代考証を務める小和田哲男さんと平山優さんの特別寄稿もあります。

人質として過ごした幼少期から桶狭間の戦い、信長との同盟、関ヶ原大坂の陣に至るまで、天下人への道を追う!
ドラマが始まったばかりでそんな先まで知っていいのかな?…なんて心配しても、読みたい気持ちは止まらない。

そもそも最新の研究成果から、家康の生い立ちや事件などに新たな説も出ています。そんな家康だから、ドラマならなお一層どう描かれるか未知数です。
さあ、思い切って「歴史人」から最新の家康像を探りましょう。今日の夢中は、歴史人「徳川家康の真実」です。

■その時家康はどうした?

ほんと、読み応え満点の徳川家康特集ですが、その中心となる記事がこちら。
「その時家康はどうした?家康の生涯と決断」

人質時代から戦国大名としての自立、ライバルたちとの戦いから天下人へ…。
その激動の生涯を時系列で追いかける、6章立ての一大特集。今日はそのエッセンスを紹介しましょう。

まずは第1章「萌芽」。若き家康、今川義元に愛された天下人への片鱗。
最近の研究では、家康(松平竹千代)の人質時代は不遇をかこったわけでなく、今川家から大切に扱われていたと考えられています。

そもそも家康は、西三河の有力国衆である松平家の御曹司でした。今川義元は、家康に特別な教育や処遇を施します。
軍師の太原雪斎が教諭したり、義元の姪とされる瀬名と結婚したり…。元服時には、義元から「元」の字を授けられ「元康」を名乗ります。家康は、今川家の次代を支えるホープとして目をかけられたものと考えられます。


(竹千代像/写真ACより)

ちなみに、家康は今川家の前に織田家の人質になっていますが、これについても新説が唱えられています。
これまでは今川家に送られる家康を織田家が奪ったとされていましたが、新説では、松平広忠(家康の父)が織田家に降参…。その証に家康を人質として出したとされます。なんと!「どうする家康」の前に「どうする広忠」だったのか…。

続いて第2章「独立」。三河の覇者となった青き徳川家康の10年間。
桶狭間の戦い後、戦国大名としての自立を図る家康…。ただ、その隣国には、織田信長武田信玄と、強大な武将が控えていました。

この辺りの家康は、ギリギリの決断「どうする家康」の連続…。最も危うい時期だったと言えるかもしれません。
何しろ桶狭間で今川義元を失い、自らも織田家の襲撃の危機にさらされます。今川を頼るのか、織田に屈するのか、どうする家康?

さらに、戦国最強と謳われる武田信玄との戦い。家康軍は、まんまと三方ヶ原におびき出され完膚なきまでに叩きのめされます。家康自身も討死の危機にさらされました。
誌面は「小勢の家康軍が大軍の武田に勝つ見込みはなかったであろう」と両断します。もし信玄が急死しなかったら、その後の家康はなかったかも…。


(武田信玄像/写真ACより)

■我慢して天下人へ

第3章「動心」。武田信玄、築山殿、信康、織田信長の相次ぐ死…揺れ動く徳川家康の心と力。
三河を平定し、織田信長との協力体制も万全。戦国武将として飛躍した家康ですが、それでもヨロヨロとぐらつく時代がやって来ます。

特に、正妻築山殿(瀬名)と息子信康を自害させた「信康事件」は、家康の生涯で痛恨の事態…。
これまでは織田信長が武田に内通した2人の殺害を命じたとされていましたが、最近の研究では家康が自ら忖度して処罰したと指摘されています。

その背景には、家康ら浜松衆と信康ら岡崎衆の対立があったと考えられます。そこを武田勝頼につけ込まれたんですね…。
その勝頼との決戦「長篠・設楽原の戦い」が行われたのもこの頃。さらに「本能寺の変」「伊賀越え」と、家康の「どうする」が続きます。「生きた心地がしなかったに違いない」なんて評も…。


(織田信長/イラストACより)

そして第4章「我慢」では、「小牧・長久手の戦い」を経て、ライバル秀吉に臣従した家康の「どうする」が描かれます。
合戦は別にして、政治では秀吉の方が一枚上手だったよう。各地の大名が次々と秀吉に降り、なんと自身の側近・石川数正までが秀吉に出奔。この頃の家康の胸中はいかに…。

しかし、その秀吉の死を契機に、ついに家康が次の天下人へ動き出します。第5章「転機」
秀吉の遺言を反故にして政権奪取の布石を打つと、ついに石田三成との天下分け目の一戦「関ヶ原」へ。豊臣恩顧の大名を味方につけた「小山評定」は事実か?家康を激怒させた「直江状」の内容は?小早川秀秋はいつ寝返ったのか?など、興味深い新説がいっぱい。

最後は第6章「成就」。家康が挑んだ「天下取り」の総仕上げ…。その最大の障害は、大阪に残る豊臣家とその当主・秀頼でした。
これを排除するために家康がとったのは、征夷大将軍任命による自立と、豊臣家との最終決戦・大阪の陣でした。この2つを成し遂げ、天下取りを「成就」した家康…。その約1年後に、息を引き取りました。


(徳川家康像/駿府城)


最後は天下人になった家康ですが、その生涯は危うい決断…「どうする家康」の連続でした。
なかには非情な決断や予期しない偶然もあったように思います。果たして、大河ドラマ「どうする家康」ではどのように描かれるのでしょうか。

今日の夢中は、歴史人「徳川家康の真実」!家康の生涯と決断…その時家康はどうした?でした。
ありがとう、歴史人! ありがとう、特集「徳川家康の真実」!

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