こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「歴史人」2021年12月号、「武田三代 栄華と滅亡の真相」です。
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2021年12月号の特集は、「武田三代 栄華と滅亡の真相」です。
2021年は、武田信玄が大永元年(1521年)11月3日に誕生してから500年という節目の年。
信玄が生まれた甲斐山梨では、その生誕500年を記念した様々な事業が開催されています。
歴史の語り部「歴史人」も黙っちゃいません。
生誕500年を迎えるこの機に、「武田信玄生誕500年特別企画」と銘打つ大特集を組んできました。
しかもとり上げるのは、信玄のみならず、父信虎と子勝頼を合わせた武田三代。
戦国最強と呼び声高い甲斐武田軍。彼らはいかに繋がり、いかに戦い、そして散ったのか…。
その栄華と滅亡の行方を紐解く保存版特集「武田三代 栄華と滅亡の真相」。
今日は、そこでとり上げられる武田三代、信虎、信玄、勝頼。それぞれの人物像や功績などを探っていきましょう。
■武田信虎
武田信玄の父にして、甲斐の猛虎と呼ばれる豪傑、武田信虎。
長く暴君と評されてきた人物ですが、最近、戦国武田家の基礎を築いた人物として再評価する機運が高まっています。
信虎は、父信縄の死去によりわずか11歳で、甲斐の守護・武田氏の当主を継ぎました。
そのとき甲斐国は有力な国衆が群雄割拠。身内の武田氏ですら争乱が絶えず、周りは敵だらけという状態でした。
信虎はまず、武力によって国内平定を進めます。
叔父信恵を滅し武田宗家を統一すると、対立する有力国衆を武を持って制し、甲斐統一を果たしました。
甲斐国の内憂を払拭した信虎は、その牙を国外に向けていきます。
諏訪、今川、北条…。信虎は対外戦争を仕掛けることによって、急速に戦国大名化していきました。
さらなる領国拡大に野心を抱く信虎を失脚させたのは、家臣団のクーデターでした。
嫡男晴信(信玄)が信虎を国外に追放。家臣・領民のほとんどが晴信を支持し、信虎の牙はここに潰えました…。
なお、クーデターの原因については、父子不和や信虎の悪逆非道と言われていますが、史料では確認できず「事実とは考えられない」と本誌は述べています。
代わりに指摘するのは、このとき国内を襲っていた大飢饉。国内が困窮するなか国外出兵を繰り返す信虎に人心が離れていったようです。いつの時代も、国主が失脚する理由は似たようなものですね…。
■武田信玄
父信虎をクーデターにより追放、武田家当主となったのが武田信玄です。
「武将」のイメージの強い信玄ですが、実は内政でもきめ細やかな手腕を発揮しています。
そもそもクーデターの発端となったのが国内の飢饉や経済の悪化。
国内の治水対策として「信玄堤」の整備を進めたり、統一の税制体系を構築したりして、領国経営を安定させます。
合わせて軍事面では、身分は低くても能力のある若手を抜擢して育成。
信玄を頂点とする寄親寄子制を展開し、戦国最強と言われる武田家臣団を形成しました。
さらに信玄は、外交によって今川・北条と三国同盟を結ぶと、諏訪・佐久を併呑。さらに信州へ侵攻していきます。
そして迎える宿敵・上杉謙信との激闘、川中島の合戦。実はこの地で両雄は5回も戦っています。
信玄の勢いは止まりません。三国同盟を破棄すると、駿河を制圧、小田原に攻め入ります。
さらに遠江簒奪に動くと、三方ヶ原で徳川軍を撃破。このとき、家康はあまりの恐怖に脱糞したというから、武田軍の強さは本物です。
しかし、破竹の勢いを見せる武田軍が突如進軍を停止します。
巨星堕つ…。信玄は病に倒れ、織田信長との決戦を前に死去。享年53歳でした。
■武田勝頼
父信玄の急死に伴い、家督を相続したのが、武田家20代目当主となる武田勝頼です。
「信玄の築いた領国を滅ぼした人物」という酷評がついてまわる勝頼ですが、実は信玄を上回るほどの版図を得ることに成功しています。
長篠合戦での敗北後、勝頼は内政立て直しと新機軸外交に着手します。
特に、長年の宿敵だった上杉謙信との和睦を実現。北条氏とも姻戚関係を結び同盟を強化します。
一時は、謙信の後継・景勝から領土の割譲を受け、武田領国は日本海にまで達します。
しかし一方で太平洋側、徳川家康との攻防は苦戦が続きます。家康は、武田方が守る高天神城を包囲し攻勢を強めます。
勝頼のもとに高天神城から援軍要請が何度も届きますが、このとき北条の猛攻を受けていた勝頼にその余裕はありませんでした。
結果、高天神城は援軍を得られないまま落城。万策尽きた城兵は徳川勢に突撃し、ほぼ全員が討死しました。
高天神城を見殺しにした…。これが、勝頼の命運を決しました。
戦国大名として信頼を失った勝頼のもとから、有力な家臣や国衆が相次ぎ離反していきます。
織田勢の信濃侵攻が始まると、諸城は次々と降伏・開城。撤退する勝頼を受け入れてくれる城はありませんでした。
孤立した勝頼は妻子とともに自害。ここに武田氏は滅亡したのです…。
まさに「栄華と滅亡」の歴史を刻んだ武田三代。
信虎、信玄、勝頼、それぞれに「if」があったなら、武田氏も戦国の世も異なる運命を歩んでいたのかもしれません。
誌面には他にも、「知られざる武田二十四将の実像」や「波乱万丈 武田家の女たちのすべて」など、興味深い記事が盛り沢山。
2021年は武田信玄生誕500年。まずは「歴史人」の誌面から、戦国武田氏の興亡に思いを馳せてみましょう。
ありがとう、歴史人! ありがとう、特集「武田三代 栄華と滅亡の真相」!