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館長のふゆきです。
今日の夢中は、徳川家康(5)うず潮の巻!"戦国の巨獣"武田信玄動く…決戦三方ヶ原!です。
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■あらすじ
戦国の巨獣、武田信玄、動く…。
52歳、円熟の極に達した信玄が、ついに西上戦を開始しました。
迎え撃つのは、遠江・三河を支配下に治めた新進気鋭の徳川家康。
戦国最強と言われる武田の大軍を前に、徳川方は慎重論が多数を占めますが…。
そして武田・徳川両軍の戦いの幕が切って落とされます。
一言坂の戦い、二俣城の戦い、そして三方ヶ原の戦いへ…。
家臣の反対を押し切って出陣した家康に、強大な武田軍が容赦なく襲い掛かります。
家康本人にも敵の刃が迫ります。果たして家康の運命はいかに?三方ヶ原の決戦の行方は…。
■風林火山
疾き(はやき)こと風の如く
徐か(しずか)なること林の如く
侵略すること火の如く
動かざること山の如し
孫子の句「風林火山」を大将旗に記した「戦国の巨獣」、武田信玄が襲来します。
兵力も経験もけた違い…。強大な敵を前に、家康は「戦おうか?避けようか」悩みます。
家中に合戦回避の声が多くあるなか、家康は自らの運命をかける決断をします。
「予は我慢ならぬ。わが枕をまたがれて黙って通したとあっては末代までの恥辱じゃ」
武田軍は3万近い大勢力。一方、徳川方は織田の援軍を加えても1万足らず…。
それでも「何かが乗りうつっていると思うよりない猛々しい表情」の家康が、最後の軍議で出陣を命じます。
決戦の地は、浜松城の北、三方ヶ原…。
「たて三里、よこ三里にわたって灌木の生えるに任せた荒蕪の地」でした。
■三方ヶ原
緊迫の三方ヶ原の戦いを描く「徳川家康」第5巻「うず潮の巻」。
この巻で描かれる時代(年表)は次の通りです。
元亀元年(1570年) 姉川の戦いに参加
同年 本拠地を岡崎から浜松に移す。浜松城を築城
元亀3年(1572年) 武田信玄が遠江・三河への侵攻を開始
同年 三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗
強大な信玄を前に、まるで正気を失ったように、是が非でも戦うことを決する家康…。
三方ヶ原に展開した布陣は、崖を背にした鶴翼の陣。勝利以外に退却路のない背水の陣でした。
その布陣を聞いた信玄がつぶやきます。「そうか、死にに来たのか」。
「やっぱりのう、まだ若い」。信玄の号令一下、武田軍は怒涛の如く、徳川軍に襲い掛かります。
(武田信玄像/写真ACより)
それは、戦いというより蹂躙に近いものでした…。徳川軍をみるみる呑み込んでいく「戦国の巨獣」武田軍。
その牙は、家康本人にも襲い掛かります。「殿をまもれ」「お館を討たすな」。家臣たちが家康を逃そうと、必死にその盾となり一人また一人斃れていきます…。
「命からがらという言葉が、そのままあてはまる惨敗だった」。
武田勢の損害400、徳川方は織田の援軍を加えて1180。本多忠真、鳥居忠広ら譜代の家臣も多く討死。夏目広次(吉信)は家康の身代わりとなって果てました。
こうして、三方ヶ原の戦いは、信玄が完膚なきまでに家康を叩きのめして終わるのです…。
本書では、合戦に向かう家康の心のうちが解き明かされますが、何よりも史実として鮮烈にうつったのが、武田信玄の強さ…。
信玄恐るべし…。その強さは半端ありません。このまま生き永らえていたら、家康がどうなったことか…。
本書では、その信玄の死も描かれます。そして、戦乱の陰でうごめく徳川家中の謀略も…。
天下統一までの道険し。続きについては、また当ブログで紹介しましょう。
ありがとう、「徳川家康」! ありがとう、第5巻「うず潮の巻」!