徳川家康(25)孤城落月の巻!真田幸村ら敗れ去る者の生きざまと勝者の孤独

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館長のふゆきです。

今日の夢中は、徳川家康(25)孤城落月の巻!真田幸村ら敗れ去る者の生きざまと勝者の孤独…です。
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■あらすじ

徳川と豊臣の最終決戦、大坂夏の陣
大坂冬の陣で堀を埋め立てられた大坂・豊臣方は籠城戦がかなわず、決死の覚悟で城外に打って出ます

豊臣方は、真田幸村・毛利勝永らの奮戦により徳川方を押す構えを見せますが、それもつかの間…。
やがて兵力に勝る徳川方が息を吹き返すと、徐々に豊臣方を追い詰めていきました。

最後は幸村が家康の本陣に突撃を敢行。家康を震撼させましたが、最終的には力尽きて討死しました。
幸村の戦死により豊臣方の士気は大きく低下。豊臣の象徴・大坂城は赤い炎に包まれます。

家康は最後まで豊臣秀頼と淀殿の助命に動きましたが、息子の秀忠や家臣らにその思いは届かず…。
秀頼と淀殿は、城内の籾蔵で自害しました。ここに豊臣家は歴史の舞台から姿を消すことになったのです。

■敗者たちの生きざま

時代小説史に残る名著、山岡荘八「徳川家康」全26巻
第25巻「孤城落月の巻では、徳川と豊臣の最終決戦"大坂夏の陣"の経過が克明に描かれます。

徳川家康(25)

特に、この戦いに命を懸けた豊臣方の武将らの奮戦ぶりは息を吞むものがありました。
ここは、さすがは歴史小説の大家、山岡荘八さん。敗れ去る者に焦点を宛て、章ごとに主人公を変える形式で、武将一人一人の戦いぶりからその最期までを書き上げました。

たとえば、「夏の陣開戦」の章では塙団右衛門、「道明寺出陣」の章では後藤又兵衛、「若江の長門」の章では木村重成を取り上げ、その生きざまを追いました。
それぞれ、この戦いで命を落とすのですが、その戦いぶりは敗将とは思えぬほど勇敢。ただ、その最期には時代の流れを読めなかった者の無常のようなものを感じました。

そうした武将の中で、最も目を引かれたのは、「真田軍記」の章の主人公、真田幸村です。
幸村にとっては、戦いの無常など当たり前。「この世に戦などなくなるものか」と彼なりの譲れない信念を持っていました。

筆者は、幸村の戦う理由を「戦争は永遠に絶えないという意地」と記述します。戦いの勝敗はすでに眼中にはありません。
彼が狙うのは家康の首ただ一つ。曰く、「家康自身の生命を奪って、安易な泰平など存在しないことを世人に知らせてやることであった」。

そして「五月七日」の章で、歴史に残る幸村の家康本陣への突撃が描かれます。幸村自身が敵中へ馬を乗り入れたのは、三度や五度のことではありませんでした。
その武者ぶりは、「真田日本一の兵」と称されるほど…。しかし、「まさに家康の咽喉笛へ刀の切ッ尖をあてようとするところ」で、家康の救援に駆けつけた井伊勢と藤堂勢によって撃退。幸村も力尽きることになるのです。

■勝者の孤独

そして、この巻のもう一つのハイライトが、大阪城の主・豊臣秀頼とその母・淀殿の最期です。
大阪城が炎に包まれる中、山里郭の籾蔵に身を隠す秀頼母子と近習たちですが、最後は覚悟を決めて別れの盃を交わすと、自害して果てました

実は、その陰で懸命に秀頼母子の救出に動いていたのが家康でした。ひそかに柳生一族の奥原信十郎を秀頼のそばに侍らせて救出の機会をうかがいますが…。
それが、最後は秀忠や若き家臣らに裏切られ、迎えに行こうとした大阪城の手前で秀頼母子自害の報を聞くことになります。

本書では、その後怒りともどかしさで打ちひしがれる家康が描かれます。山岡荘八さんは、このときの家康の心境をこのように書きました。

家康の生涯で、これほど惨めな、骨にしみる孤独を味わわされたことはなかった。
(この年齢になって……このような淋しさを)

勝ち残った者の孤独。まさか、晩年にこのような仕打ちがあるとは…。泰平への道のりはたやすいものではありませんね…。

こうして、大坂夏の陣は終結。豊臣家は滅びました。家康にとっては苦い勝利ですが、それでも天下泰平の道は見えてきました。
しかし、家康に残された余命はわずか…。果たして家康は、生涯かけて追い求めてきた泰平を実現することができるのか…。

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