こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、スポーツ総合雑誌「Number」977号、特集「平成五輪秘録。」です。
■Number
もう、この表紙を見ただけで、あのときの興奮がよみがえりますよね。
今日とり上げるのは、スポーツ総合雑誌「Number」977号。
「完全保存版」と銘打たれた特集は、「夏季・冬季15大会総特集 平成五輪秘録。」です。
そうかぁ…。平成って夏冬あわせて15回のオリンピックが開かれたんですね。
別冊付録として、「平成五輪日本人金メダリスト名鑑」が付いています。
平成最初のオリンピックは、1992年のアルベールビル冬季五輪。
この大会でスピードスケートの橋本聖子さんが1500mで銅メダル。日本人女子初の冬季五輪メダリストになりました。
フィギュアスケートの伊藤みどりさんも銀メダルを獲得。平成のはじまりは、女子アスリートの活躍のはじまりでもありました。
平成最初の夏季五輪は、同じく1992年のバルセロナ五輪。なお、同年開催はこの年が最後でした。
女子の勢いは止まらず、14歳の岩崎恭子さんが平泳ぎで金メダル。
負けじと、男子柔道では、古賀稔彦さんと吉田英彦さんが金メダル。この2人、強かったよなぁ。
語り始めたら切りがない。
夏季五輪は2016年リオデジャネイロ、冬季五輪は2018年平昌まで、平成五輪15大会。すべての金メダリストが掲載されています。
まさに「完全保存版」。もっと知りたい方は本誌をぜひご覧ください。
■北島康介と平井コーチ
この金メダリスト名鑑を眺めるだけで十分満足なのですが、それにも増して本誌の特集が面白い。
さすがはスポーツ総合雑誌「Number」の底力。「平成五輪秘録。」の名の通り、メダル獲得に至る秘話が明かされています。
多くのメダリストたちがその秘話を語っていますが、その中から特に心に響いた「言葉」を取り上げましょう。
まずは北島康介。
「チョー気持ちいい」「なんもいえねぇ」は、五輪だけでなく平成の名言ですね。
2004年アテネで、100m平泳ぎ・200m平泳ぎで金メダル。2008年北京で連覇しました。
この名言もいいのですが、今回印象に残った「言葉」は、彼を指導していた平井コーチの言葉です。
アテネ五輪のときに、北島の前に現れた強烈なライバル、米国のブレンダン・ハンセン。
このままでは勝つのは難しい…。そう考えた平井コーチは、ある決断をします。
「勝つためにはハンセンに北島を意識させて力みを誘うしかなかった」
北島に予選から全力で行くことを指示します。北島は予選で五輪新記録をマークしました。
この作戦が功を奏します。
決勝レースで、力みの出たハンセンが後半失速。北島が見事にまくって金メダルを獲得しました。
このときの平井コーチの指示がすぐれもの。
「勇気をもって、ゆっくりいけ」
この言葉、「チョー気持ちいい」に負けない名言ですね。
■ブレンダン・ハンセン
続いて、その北島のライバル、ブレンダン・ハンセン。
圧倒的な実力を有しながらも、アテネ・北京と北島に勝てなかった悲運のアスリート。
「体より心が疲れていた。プレッシャーを乗り越えるタフさが自分にはなかった」
本誌記事からうかがい知れるのは、ハンセンの繊細なハート。やさしい性格なんだろうな。
北京五輪で北島に再び敗れると、失意のまま競泳から離れます。
ただ、この競泳を離れた2年間は、ハンセンの気持ちをリフレッシュさせたようです。
2012年ロンドン五輪に復活出場すると、彼は五輪で初めて北島に先着。銅メダルを獲得しました。
ようやく北島の呪縛から解かれたのでしょうね。この大会で初めて2人は記念撮影をしています。
そのときのハンセンの言葉がすばらしい。
「レースにはほかにも6人の選手がいるのに、自分のライバルはコースケだけだった。コースケがいたから、限界以上に頑張れた。何より泳ぐのが楽しかった。金メダルは獲れなかったが、歩んできた道に後悔はない」
このハンセンの記事は全文を読むことをおススメします。
■平成五輪秘録
他にも羽生結弦から高橋尚子、荒川静香など、多くのメダリストやライバルたちが秘話を語っています。
どれもこれも面白い。
Number PLUS「FIGURE SKATING TRACE OF STARS 2018-2019」
トップアスリートゆえの苦悩、4年に1度だからこその感動…。
メダルの陰にドラマあり。
「平成五輪秘録」。完全保存版の名に恥じない、感動と涙が盛りだくさんな特集でした。
ありがとう、Number! ありがとう、平成のメダリストたち!