こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、「歴史人」2019年5月号「戦国の山城大全」です。

■歴史人

いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる雑誌「歴史人」
2019年5月号の特集は、大型連休を前に、歴史好きを旅に誘うような特集です。


歴史人2019年5月号

その特集とは、『「全国」行ける山城ガイド158 戦国の山城大全』です。
「基本構造から縄張図の読み方まで、山城のすべてがわかる!」と銘打った保存版特集。

158もあるのかぁ…。でも森林浴も楽しめる山城めぐり、出かけて見たいな。
今日は、誌面に掲載されている158の山城の中から、個人的に興味を引かれた城を紹介します。

■山城とは

そもそも山城って何?
城と言えば、天守や櫓、城門などのある城をイメージする人がほとんどでしょう。

実は、山城にはそんな荘厳な構築物は存在しません。
自然の山の地形を利用して、山上あるいは山腹に築かれた城が「山城」です。

山城が発達したのは南北朝時代のこと。
鎌倉武士の主力である騎兵に対して、南朝側が騎兵では登ることのできない山に城を築きました。
さらに戦国の世になると、敵に対する防御の観点から、武将たちは相次いで山城を築くようになります。

実は、日本には数万の城があると言われていますが、そのほとんどが戦国時代に築かれた山城
高所にあるために後世の破壊を免れた城が多く、いまでも当時の姿を残しているのが山城の魅力。
山城めぐり、楽しそうだなぁ…。まずは「歴史人」の誌面に入り込んで、バーチャル山城めぐりをしちゃいましょう。

■満点の城

それでは、「全国」行ける山城ガイド158の中から、個人的に興味を引かれた山城を紹介します。

まずは、島根県の月山富田(がっさんとだ)城
主な城主は、尼子氏、吉川氏、堀尾氏。築城年は不明です。

この特集、掲載されている158の城を点数付けしているんです。
名付けて「山城満足度」。歴史重要性や遺構の状況、登りやすさなどを100点満点で評価しています。

この月山富田城はなんと、満点の100点!すごいですね。
この山城を居城とした戦国大名尼子氏は、出雲・石見など11ヶ国を制し、一時は中国地方の覇権を制しました。

その栄華をしのぶように、城域は広大。
曲がりくねった登城路や籠城に備えて掘られた井戸など、戦国の名残が其処彼処に。
ちなみに、尼子氏は毛利軍の総攻撃をここで1年半凌ぎました。歴史好きにはたまらない山城ですね。

■天空の城

続いて、「天空の城」「日本のマチュピチュ」とも評される、兵庫県の竹田城
主な城主は、太田垣氏、赤松氏。築城は永享3年(1431年)。

室町時代の有力大名・山名宗全が築き、家臣の太田垣氏を城主としたと言われています。
山陰と京都・大阪を結ぶ要衝であったことから、戦国の世になると、織田信長や毛利輝元が進出。
結局は、羽柴秀吉が攻めとって自らの支配下としています。

なんと言ってもその魅力は、濃霧が発生すると雲海に浮かんでいるように見える城の姿
廃城から約400年を経た今も、石垣がほぼ完全に残っているのも奇跡的。絶景の山城ですね。

■悲運の城

そして、岩手県にある九戸城
主な城主は、南部氏、九戸氏。築城は明応年間(1492~1501年)と言われています。

豊臣秀吉の天下統一の総仕上げの犠牲となった悲運の城。
南部氏と九戸氏の家督争いが、秀吉から豊臣政権への反乱とみなされたために、九戸城は大軍に包囲されます。
なんとその兵力差は、九戸政実率いる籠城軍3千に対して秀吉軍15万…。


冬を待つ城/安部龍太郎

九戸軍は抗戦の不利をさとって降伏しますが、豊臣軍はこれを許さず、見せしめのため老若男女問わず皆殺ししました。
戦国乱世の犠牲となった悲運の城。今も残る遺構は、合戦の理不尽さを今に伝えているのかもしれません。

他にも、いまに残る戦国の山城が、合わせて158、掲載されています。
歴史人ならではの「山城満足度」を見ながら、好みの山城を探してみるのもいいかもしれません。

ありがとう、歴史人! ありがとう、戦国の山城!

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