こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「歴史人」2019年7月号「本能寺の変の真実」です。
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる雑誌「歴史人」。
2019年7月号の特集は、「本能寺の変の真実」。
戦後の最大の謎と言われる「本能寺の変」をすべて解き明かす!
信長殺しの動機を徹底検証!ウラで糸を引いたのは誰だ!?
表紙には、雑誌「歴史人」の本気が伝わるような言葉が並びます。
実際に誌面は、100頁を超えるボリュームで、本能寺の変を様々な角度から掘り下げています。
巻頭をかざるのは、「本能寺の変は歴史の必然だったのか」。
2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の時代考証を担当する小和田哲男氏が監修しています。
さらに、読み応えたっぷりの、「ドキュメント!本能寺の変」。
織田信長と明智光秀、両者の動きを時系列で再現しています。
そして、ここは絶対読み飛ばせない、「本能寺の変、信長殺しの動機と20の仮説」。
本能寺の変の真相を徹底分析。真犯人は誰か?20の説を紹介しています。
光秀と秀吉の命運を分けた戦い、「秀吉と山崎の戦い」も徹底検証。
家康の決死の逃避行を掘り下げた、「天正伊賀越えの真相」なんてのもあります。
■光秀の誤算
どれもこれも読み応え満点なのですが、その中で面白かったのはこの記事。
光秀【誤算】の10日間を追う!
三日天下と言われる光秀ですが、実際は12日間天下でした。
光秀がその座を失ったのは、ライバル豊臣秀吉との「天王山」、山崎の戦いに敗れたためです。
この記事では、織田信長という覇王を討ち果たした光秀が、なぜもろくも滅びの道を辿ったか、時系列で追いかけます。
確かに、「中国大返し」で戻ってきた秀吉に敗れたという事実は知ってるけど、その前段はよく知らないな…。
本能寺の変で信長を討ち取った後の光秀の動きはあざやかでした。
信長を討ったその足で、二条御所に立てこもった信長嫡男の信忠を速やかに討ち取ります。
さらに諸将に協力を要請する手紙を送ると、織田政権の拠点である安土城を占領します。
さらに秀吉の本拠地、長浜城も攻略します。ここまで、本能寺の変から4日間。なかなかですよね。
光秀は安土城に蓄蔵されていた金銀を近江国衆に与えて、次々と味方に組み入れていきます。
さらに兵士たちの乱暴狼藉などを禁ずる禁制を出し治安の安定を図ります。この辺は知恵者・光秀らしいですね。
一方で、頼りにしていた与力武将は光秀のもとに来ず、思わぬ「誤算」となります。
なかでも盟友・細川忠興の離反は打撃でした。忠興の夫人は光秀の娘玉(のちのガラシャ)。
光秀は姻戚でもある忠興が駆けつけることを期待していたはずです。
さらに、光秀の配下・筒井順慶が日和見、朝廷が傍観を決め込むと、次第に光秀は孤立していきます。
これ、のちの石田三成に重ね合わせちゃうのは私だけでしょうか…。知恵者だけど人望が欠けるって感じが似てるような気がします。
決定打は、秀吉の予想もしない速さの「中国大返し」でした。
秀吉は備中高松城を水攻めしていましたが、変を知ると、信長の死を伏せたまま毛利方と和睦交渉を結んでしまいます。
すると、あっという間に反転。備中高松城から尼崎までの約135kmを5日間で踏破しました。
黒田官兵衛の献策と言われていますが、この辺の軍師、諜報戦の差も、光秀と秀吉の命運を分けたと言っていいでしょう。
天下分け目の山崎決戦。秀吉4万に対し、光秀1万6千。圧倒的な兵力差を前に、光秀はもろくも散ったのでした…。
■もしも…
「歴史人」2019年7月号を読むと、いろんな「もしも」を考えてしまいます。
もしも信長が生き延びていたら…。もしも光秀に加勢があったなら…。もしも秀吉を毛利が追撃していたら…。
天下の趨勢を変え、武将の命運を左右するのが、そのときどきの微妙な決断だったりします。
「本能寺の変」一つをとっても、さまざまな歴史の「あや」ともいうべき岐路がありました。
まだまだ謎がいっぱいの本能寺の変。「歴史人」を読んで、想像と妄想をふくらませるのもいいかもしれません。
ありがとう、歴史人! ありがとう、本能寺の変!