徳川家康(17)軍荼利の巻!関ヶ原前夜…家康と三成、決戦に向かう様々な人物の覚悟とは

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館長のふゆきです。

今日の夢中は、徳川家康(17)軍荼利の巻!関ヶ原前夜…家康と三成、決戦に向かう様々な人物の覚悟とは…です。
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■あらすじ

秀吉の死後、徳川家康に対する敵愾心を高める石田三成…。
しかし皮肉にも秀吉子飼いの七将の襲撃を受けた三成は、家康の庇護を受ける形で、居城の佐和山城に蟄居することになります。

一方の徳川家康は、豊臣秀頼のいる大坂城に入城。秀吉の跡を継ぐように大坂で政務を執ることになります。
さらに、浅野長政や前田利長ら秀吉麾下の重臣を追放または恫喝すると、自らの支配下におき権力基盤を強固なものとしていきました。

次に家康は、会津の上杉景勝に矛先を向けると、従わぬどころか挑発的な姿勢を示した上杉氏の討伐を決断。
諸大名に号令して、会津に向けて出征。家康は自らも軍勢を率いて出陣しました。

この機を待っていたのが石田三成でした。大谷吉継とともに挙兵すると、家康のいた大坂城西の丸を奪還。
さらに、五大老の一人・毛利輝元を総大将として擁立して、家康弾劾の宣戦布告を発したのでした。

関ヶ原前夜…。虚々実々の駆け引きが繰り広げられる日の本。果たして戦いの行方は…?

■家康の覚悟、三成の覚悟

時代小説史に残る名著、山岡荘八「徳川家康」全26巻
第17巻「軍荼利の巻」では、家康の大阪入城から会津出兵、さらに石田三成の挙兵と、関ヶ原前夜の動きが描かれます。

徳川家康(17)

戦国の風雲はなお止まず。そしてその風は、関ヶ原へと吹いていくのですが…。
そこに至るまでには、家康と三成をはじめ、様々な人物の「覚悟」がありました。

まずは徳川家康。いっときは宥和路線も模索しましたが一転、自らが天下を宰領する覚悟をもって大坂城に入城します。
治世安定のためには、旧体制の重臣にも容赦ありません。浅野長政や大野治長を追放、前田利長に至っては芳春院(まつ)を人質にとって屈服させました。

物語のなかで、三成との決戦を覚悟した家康が本多佐渡守正信に語る場面があります。
「佐渡よ、いま家康を動かしているものは、一つの大きな使命感なのじゃ」。正信が「使命感…?」と問うと…。

「その通り!家康は選ばれて、太閤無き後の天下を安定のために働く…この使命は盤石よりも重いと知れ」

長く側に仕えてきた本多正信が気圧されるほどの若々しく激しい言葉。慎重と堪忍を身上としてきた家康とは思えぬほどの強い覚悟の言葉でした。
とどめを刺すように「天下を安定しようと志すほどの者に、この位の覚悟がなくて何としようぞ。これが、家康のこんどの戦にのぞむ気魄じゃ」と付け加えるのでした。

一方、失脚してもなお家康に強い敵愾心を抱く石田三成もまた、強い覚悟を持っていました。
三成の挙兵を思い留めさせようとして訪れた大谷刑部吉継に対して、挙兵の決意が変わらぬことを打ち明けます。そして友人・三成のことを思って懸命に諫める吉継に向かって、涙ながらにこう言うのでした。

「刑部どの、お身の生命を三成に下され…この三成と共に死んで下され…」

あの傲慢な三成が泣きだした…。息をのむ吉継に対して、三成は嗚咽交じりに続けます。
「ともに事を挙げられなんだら、この場で三成を刺して下され。三成はお身の手で刺されるとあれば、悔いはせぬ。三成は、お身の友情だけは、みじんも疑ったことはないのだ…」。
その言葉を受けて吉継は「お身に生命を差し上げましょう」と、石田三成と情死する覚悟を決めるのでした。

■家康と元忠の覚悟

他にも、大坂城を離れる高台院(ねね)の覚悟、家康との決戦も辞さない上杉景勝と直江兼続の覚悟、生命を賭してまでも三成に屈しない細川ガラシャの覚悟など、様々な人物の覚悟が本書で描かれます。
なかでも、痛いまでもその覚悟が伝わるのが、13歳から家康の側に仕えてきた鳥居元忠の覚悟でした。

家康は、会津出兵の陣配置で、鳥居元忠に伏見城の守備を任せますが、そこは三成が挙兵した際に犠牲となるのが明らかな城でした。
陣配置を終えると、家康は元忠(幼名:彦右衛門)に語りかけます。「どうじゃ彦右衛門、足は痛むか」。本書にそのときの二人の心のうちが記されます。

二人だけになってみると、駿府へ人質の少年時代から、ずっと五十年一緒だった二人の間には、兄弟以上に共通する想い出が多かった。

「殿、到頭、思い切りましたなあ」。元忠はそう言うと、自らの運命を察して、城の留守を自分一人にして他の者を家康とともに出陣させるように懇願します。
そして家康に対して、自身(元忠)の死をもって、「一つになった日本国をご支配」しろと叱咤するのでした。

その夜2人は、深更まで別れの酒を酌み交わします。どちらも酒量は超えて、50年にわたる過去の追想に酔いました。
「たとえ、何十万の大敵が押し寄せて恫喝しようと、生憎なことに、この元忠は怖いということを知らぬ男…いつでも戦うだけ戦うて、城に火を点け、われとわが身を荼毘に附しまする」。
やがてその言葉通り、三成の大軍に囲まれた元忠は伏見城とともに命を全うすることとなるのです…。

ついに、戦いの火ぶたは切られました。家康の会津出征を待っていたように、三成が挙兵します。
そして戦いの舞台は、決戦の地・関ヶ原へ。果たして両雄の戦いの行方は?続きはまた、当ブログにて綴っていきたいと思います。

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