永井路子「平家物語の女性たち」源平時代に生きた平家物語の12人

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館長のふゆきです。

今日の夢中は、永井路子「平家物語の女性たち」源平時代に生きた平家物語の12人です。
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■平家物語の12人

平清盛ら源平の武者たちの華麗な戦さ、滅びゆくものの光芒を描いた「平家物語」
その舞台裏でひっそりと、しかし確かに生きた女性たちがいました…。

「炎環」「北条政子」などで源平合戦の時代を鮮明に描いた永井路子さんが、「平家物語」の女性たちに焦点を当てた短編集。
それが、今日とり上げる「平家物語の女性たち」です。


平家物語の女性たち

「平家物語」の中から選りすぐられた12の物語、12人の女性たち。
「鎌倉殿の13人」に対して「平家物語の12人」といったところでしょうか。1篇に複数人登場する話もあるので正確にはもう少し多いですが…。

同書には、次のような12のストーリーが収められています。
もちろん、いずれも平安末期の源平時代に生きた女性が主人公です。

祇王 祇女 仏御前
葵女御 小督局
千手前
横笛
祇園女御
二代后
小宰相
維盛の妻

大納言典侍(佐)
建礼門院
二位の尼時子

知った名前も知らない名前もありますが、いずれも「平家物語」に登場する女性たち
そしていずれもが、滅びの歴史の中で、自分の意志とはほとんど無関係なままに、悲しい運命をたどります…。

今日はその中から、特に心打たれた2人の女性を取り上げましょう。
「建礼門院」と「二位の尼時子」です。

■建礼門院

建礼門院は、その名を徳子といい、平清盛の娘として生まれました。
ときは平家の栄華が絶頂のころ、高倉天皇のお后となり、安徳天皇を生み、国母となりました。

しかし「驕れる者は久しからず」、平家没落とともに西海に逃れ、壇ノ浦で入水しました。
ただ、彼女は幸か不幸か、その直後に助けられます。都に戻ると出家し、大原の奥の寺院で余生を送りました。

まさに、平家の盛衰を体現するような波乱万丈の生涯です。
特に晩年はあわれです。出家の布施として、何も持ち合わせていたかったために、なき安徳帝の形見の直衣を涙ながらに差し出します。

さらに出家して間もなく京を地震が襲い、当時住んでいた吉田の坊が被害を受けます。
そして、「山里は物のさびしき事こそあれ 世の憂きよりは住みよかりけり」と、大原山の奥にある寂光院に移りました。


(寂光院)

この寂光院の建礼門院のもとを後白河法皇が不意に訪れるという「大原御幸」は、平家物語のハイライトの一つ。
建礼門院は法皇に対面すると、涙ながらに今の心境を語ります。それは、あまりにも数奇な、栄華と悲運の回想でした…。

建礼門院徳子。その没年は定かではありませんが、その後も生き永らえて、58歳くらいで亡くなったとされます。

■二位の尼時子

その建礼門院徳子にも増して、数奇な運命を辿った女性。
永井路子さんが「日本一幸福でしかも日本一不幸だった」とする女性。それが、二位の尼時子です。

二位の尼時子は、平清盛の妻にして、後に皇后となる徳子(建礼門院)の母。
その前半生は、「まさに目くるめくばかりの栄光に包まれ」(本文より)ていました。

しかし後半生は、夫の死、一族の没落、孫(安徳帝)を抱いての非業の死…。
「考えられる限りの無残さを集めて背負い込んだ感じ」(本文より)の悲運の連続でした。

特に壇ノ浦の場面、いよいよ敗戦が近づき船上に悲鳴が上がる中、時子は凛として船ばたに歩みを進めます。
彼女は、かねて用意していた喪服を身にまとい、神器と幼い帝を抱くとやさしく語りかけました。「海の下にも都はございますよ。さあ、そこへ」。そして海の底へと身を投げました。


(安徳帝御入水之処)

周囲で凄惨な死闘が繰り広げらているなかで、この凛とした強さはいかなるものでしょうか…。
永井さんは、そこに「時子の執念のようなものを感じないではいられない」といいます。

安徳帝と神器ー平家の栄光の象徴は死んでも離すものか…。夫清盛が築き上げたものを、わが手でこの世から抹殺し、平家の時代を終結させるのだ…。
その決死の覚悟によって、平家の歴史は終わりを告げましたが、平家一門の栄誉は後世に残りました

二位の尼時子。その墓所は、安徳帝の陵とともに赤間神宮(山口県下関市)にあります。


(赤間神宮)

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