徳川家康(10)無相門の巻!家康と秀吉がついに激突「小牧・長久手の戦い」

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館長のふゆきです。

今日の夢中は、徳川家康(10)無相門の巻!家康と秀吉がついに激突「小牧・長久手の戦い」…です。
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■あらすじ

賤ヶ岳の戦いで、ライバルの柴田勝家を倒した羽柴秀吉
織田家臣団のなかで絶大な権力を掌握した秀吉は、かつての主君である織田信長の次男・信雄と衝突します。

天正12年(1584年)3月、信雄が秀吉派の三家老を処刑すると、激怒した秀吉が信雄に対し出兵を決断。
これに対し徳川家康は、同盟関係にあった信雄を援けるために清州城に駆け付けました。

こうして、家康軍と秀吉軍が激突「小牧・長久手の戦い」がはじまります。
家康は小牧山城に着陣、秀吉は犬山の楽田城に着陣。互いに砦を築き、睨み合いが続きました。

戦況の膠着を打開するため、秀吉方に附いた池田恒興が三河中入り(家康の本拠である三河を急襲する)を献策。
同年4月、恒興は羽柴秀次や森長可らと共に、三河に向けて進軍を開始します。

この動きを察知した家康は、自ら兵を率いて小牧山から出陣。長久手で両軍が激突します。
両軍一進一退の攻防が続きますが、森長可が狙撃されて討死すると、戦況は一気に徳川優勢に傾きます。

徳川軍の猛攻により、池田恒興と元助父子を討ち果たすと、池田・森軍は壊滅状態に…。
長久手の戦いは徳川軍の勝利となりました。後に、秀吉と信雄は講和。家康は三河に帰国しました。

■小牧・長久手の戦い

時代小説史に残る名著、山岡荘八「徳川家康」全26巻
第10巻「無相門の巻」でとり上げるのは、天正12年(1584年)徳川家康と羽柴秀吉が戦った「小牧・長久手の戦い」です。


徳川家康(10)無相門の巻

巻は、その発端となった秀吉と織田信雄の対立から、家康と秀吉の武力衝突、さらにはその後の講和まで…。
家康と秀吉が唯一直接対決した「小牧・長久手の戦い」を詳しく追っています。

なかでも見どころは、家康軍と秀吉軍(池田恒興・森長可・堀秀政・羽柴秀次)が対決する長久手の戦い
池田恒興ら秀吉軍が、家康はじめ主だった武将が出陣し手薄となっている三河を狙って、密かに軍を動かします(三河中入り)。

しかし、これを察知した家康軍がこちらも密かに軍を動かし、背後から最後尾にいた羽柴秀次軍を急襲。戦経験の浅い秀次は混乱を来します。

こうして、急は森長可のもとへ告げられ、更に池田勝入(恒興)のもとへも飛んで長久手一帯は爽昧な朝の日の中で、見る間にはげしい血闘場に変っていった。

その合戦シーンの描写は、まさに「血闘場」と呼ぶに相応しい、生々しく迫真に満ちたものです。
特に、池田恒興と永井直勝の一騎打ちの場面は息をのみます。最後に直勝が恒興を倒すと、恒興は「あっぱれ」と相手を褒めて落命しました。

こうして長久手の戦いは、秀吉方の池田恒興、元助(恒興の長子)、森長可ら大将格の武将を討ち取り、家康軍の勝利となりました。

■家康無相

この長久手における勝利の余勢を買って、家康が秀吉本陣へ攻撃を仕掛けていたらどうなっていたのでしょうか…。
歴史に"if"はつきものですが、実際には家康は秀吉本陣に攻め入ることをせず、兵を引き上げました

秀吉本軍を追っていた猛将・本多忠勝は、主君・家康のこの判断に憤ります。
家康の幔幕にとびこむと、「急いで、殿!寝とぼけてござる時ではありませぬぞ」と出兵を促します


(本多忠勝像/写真ACより)

"赤鬼そのままの形相"の忠勝を落ち着かせると、家康はこう諭すのでした。

「戦はな、勝ちすぎてはならぬものじゃ」

さらに続けて、自身には秀吉ほどの力はないこと、いま秀吉を討てば信長を襲った明智光秀と同じ目に遭うこと…。
そして、わざわざ秀吉を討って世を乱してはならぬ…と、自身の考えを述べたのです。

この巻のタイトルにもなっている「無相」とは、仏教用語で、すべての執着を離れること、悟りに通ずる境地とされます。
まさにこのとき、家康は「無相」の境地に入ったのかもしれません。さらに、このようなことも言っています。

「秀吉で治まるものを、わざわざ乱世にしていっては、わしの誓いが嘘になる。わしは、神仏の意を体して、早く戦のない世にしますと心願を立ててきたのだ」

この辺りは、大河ドラマ「どうする家康」で描かれる家康の姿に重なりますね…。
松潤"家康"も、もしかしたら「無相」の境地に入ったのかもしれません。

さて、山岡荘八版"家康"ですが、家康は無用な戦を避ける決断をしたものの、忠勝はじめ家臣たちは収まりません。
主戦論がうずまくなか、家康は秀吉と和平の道を探ることになるのです。そしてそれは、家康の大切な家臣、石川数正を窮地に追い込むことになるのでした…。

果たして、家康と秀吉の講和交渉の行方は…?石川数正の運命は?
家康は戦のない世をつくることができるのか?続きはまた当ブログにて。

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