
こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、宮城谷昌光「馬援」!乱世に凛と輝く"馬上の星"、後漢の名将・馬援の生き様…です。
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■あらすじ
今から二千年前の前漢末期、かつての名門・馬氏は、曾祖父の謀反に連座し、不遇をかこっていました。
しかし、後に新を建国する王莽の登場により、ようやく馬氏の兄弟たちにも再起の機会が訪れます。
兄たちが次々と官位を授かるなか、末弟・馬援は官界に関心がなく、ひとり家に残り、馬を慰めとする日々を送っていました。
しかしあるとき、思わぬ転機が訪れます。罪人の檻送を命じられた馬援は、連座の咎で処罰される罪人を憐れみ、「自由になれ」と独断で逃がしてしまいます。
自らも追われる身となった彼は、北方の辺境へと逃れます。そこで彼は、牛や羊を育てる牧畜の道に活路を見出します。
牧場経営に才を発揮し、瞬く間に成功を収めた馬援。しかし、彼はその富を独占しませんでした。得た富を周囲に惜しみなく分け与えると、自らは再び流浪の旅へと出たのです…。
やがて、王莽への反乱軍が各地で蜂起。自由気ままを愛する馬援も、新たな政権が乱立する戦国の争いに巻きまれていきます。
果たして、馬援の運命はいかに?のちに光武帝・劉秀の臣下として、後漢統一のため力を尽くす馬援の生きざまを描く歴史巨編。馬上の星は、彼をいかに輝き照らしたのか…。
■馬援
宮城谷昌光さんの歴史小説「馬援」。旧題「馬上の星」を文庫化にあたって改題したものです。
これまでも、古代中国を舞台にした小説を数多く執筆してきた宮城谷昌光さん。
とり上げる人物は、日本人には馴染みの薄い偉人であることも多いのですが、今回もまた「馬援」という、あまり知られていない人物を主人公に据えました。

しかも、時代は紀元前後の「前漢」末期から「新」王朝、さらには「後漢」へとつながる激動の時期。
これらの時代は、始皇帝の「秦」、劉邦と項羽の「前漢」初期、曹操・劉備らの「三国時代」と比べると、やはり馴染みがありません。
これだけでも歴史ファンには探求心がそそられるのに、その馬援という武将が、「三国志」に登場する馬超の祖であるという…。
これまた、知りませんでした。馬超は、強大な曹操に反旗を翻し戦った武将です。三国志ファンにとっては俄然興味がわく英傑、それが馬援と言えます。
■「君主だけが臣下を択ぶのではない。臣下もまた君主を択ぶ」
さて、そんな馬援ですが、この小説を読んでみて感じた人物像は、「器の大きいリーダー」というもの。
「器」といっても「器量」とはまた違う、人間としての「格」のような…。「器」には収まりきらない、豪放磊落な風格を感じました。
象徴的に描かれる馬との触れ合いを重ね合わせると、草原を自由に駆ける馬のようにも、馬援という人物を捉えられます。
何ものにも縛られない、何ごとにもこだわらない。そんな馬援が県令から命じられて、罪人を連行する途中、その罪人を憐れんで逃してしまうことから、彼の人生が変遷していきます。

(写真はイメージです)
追われる身となった馬援が、北方の辺境の地へ入り、そこで荒野の開拓から牧畜経営まで、卓越した才を見せるのも運命的です。
そこで培った進取の気性や人とのつながり、自由で制約のない風土などが、のちの馬援という人物をつくっていきました。
そんな馬援に仕える従者らが、こんな会話を交わします。「主(馬援)の志はなんであろうな」。「たぶん、平等を実現することだ」。
その言葉通り、牧畜経営で一大の富を成した馬援は、なんとその富を住民たちに分け隔てなく分配してしまうのです。
「旧のように、小規模に牛馬を養ってゆく」。そう言って気ままな暮らしを再開した馬援ですが、天は彼を放っておきませんでした。
やがて、運命の人・劉秀と出会います。劉秀は、のちに後漢を建国し「光武帝」となる人物です。ただ、そんな権勢絶大な劉秀を前にしても、馬援は生き方を変えませんでした。
劉秀と会うなり、馬援は「後漢史」にも残る名言を放ちます。「当今の世では、君主だけが臣下を択(えら)ぶのではありません。臣下もまた君主を択ぶのです」。
馬援の生き方の根本を貫く「平等」の基本思想が、この言葉にもあらわれています。「当時の群像のなかでは特異であり、非凡であるというしかない」。そんな風に「あとがき」で宮城谷さんは評しています。
■「人と人は殺しあうが、馬と馬は殺しあわない」
その平等思想は、馬援に関わりある人にとっては「聖人」として映るものでした。従者の周芬は、馬援が皇帝になったら、宮殿は茅葺きで自身の服装は質素なものになるだろうと空想します。さらに、「馬援の治世は独創的で解放感に満ちたものになるのではないか」とも…。
その周芬とのやり取りで、馬援はこんなことを言っています。「富んだ者は、その富を、富まぬ者に分配してしまえばよい。そのための機関が王朝だ。劉秀にそういう思想がなければ、王朝は旧体へ回帰するだけで、官民が喜ぶ政治にならない」。
そんな馬援の平等を求める思想は、一方で、劉秀ら支配者層にとっては「危険」にも見えるものでした。
無欲に近い者ほど、扱いにくいものはない。「やっかいな男がくる」と劉秀は感じたーー。そんな風に劉秀が馬援を警戒している様が文中で描かれています。

実際に、のちに馬援は劉秀を支える立場となりながらも、劉秀に下賜された牛羊数千頭をさっさと従者に配ってしまうなど、その態度は最後まで変わりませんでした。
やがて、後漢統一にあたって計り知れない功を成した馬援に対して、光武帝・劉秀は過酷な仕打ちを行います。
それに対して、宮城谷さんは「あとがき」で次のように見解を述べています。「光武帝が恐れたのは各地の反勢力の首領ではなく、平等の所有を提唱しそうな馬援ではなかったか」。
なんだか、今の世にも通じそうな、支配する者と弾圧される者の構図に見えて、なんだか切ない気持ちになりました。
それでも救われるのは、劉秀の孫の代になって馬援の名誉が回復されること。だからこそ、後の三国時代に馬超が現れて、馬援を彷彿させるような活躍を見せることになったのです。
最後に、印象に残った馬援の言葉を記して、当ブログを終えたいと思います。「人と人は殺しあうが、馬と馬は殺しあわない」。まさに、草原を自由に駆ける馬のように生きた馬援でした。
今日の夢中は、宮城谷昌光「馬援」!乱世に凛と輝く"馬上の星"、後漢の名将・馬援の生き様…でした。
ありがとう、「馬援」! ありがとう、宮城谷昌光さん!









