こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「歴史人」2019年12月号「坂本龍馬の真実」です。
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる雑誌「歴史人」。
2019年12月号の特集は、「坂本龍馬の真実」です。
「幕末の日本を洗濯した風雲児・龍馬とは何者だったのか?」
そんな言葉を冠した保存版特集。生涯から功績、異聞、暗殺の謎まで、詳細に分析しています。
そもそも、坂本龍馬って、その生涯は何年だったんだろう…。
実は、悲運の死を遂げたのは33歳のとき。龍馬が駆け抜けた人生はわずか33年でした。
ただ、その33年の間に残した足跡は、幕末の日本を大きく揺り動かすものでした。
「歴史人」の特集のなかに、その33年の生涯をコンパクトにまとめた頁があります。
それが「幕末の風雲児 坂本龍馬33歳の生涯」という特集頁です。
龍馬の功績を、年表とイラスト付きでわかりやすく解説している好企画。
これを見ると、龍馬の生涯が早わかり。結構驚くこともあったりします。
今日は、この特集から龍馬の33歳の生涯を振り返りましょう。
■龍馬の生涯:誕生から覚醒
特集頁「幕末の風雲児 坂本龍馬33歳の生涯」。
ここでは、龍馬33歳の生涯を、「誕生」「覚醒」「飛翔」「終焉」と4つに分けて解説しています。
年表とイラストも付いているので、とても分かりやすい。この頁から、龍馬の足跡をプレイバックしてみましょう。
まずは「誕生」。攘夷を志す田舎武士、1~28歳。
龍馬は天保6年(1835年)、土佐郷士・坂本家の次男として生まれました。
少年時代の龍馬は泣き虫で、10歳を過ぎても寝小便が治らなかったそうです。
そんな龍馬を、早くに亡くなった母に代わって教育したのが姉・乙女。
「男子たるものしゃんとしなさい!」と叱咤するイラストが本誌には掲載されています。
龍馬に転機が訪れたのは19歳のとき。
剣術修行のために江戸遊学に出発すると、そこでペリー来航の報に接します。
ここで、龍馬は攘夷を唱える一人の青年として、佐久間象山や河田小龍に師事します。
さらに、桜田門外の変など時代が大きく動く中、朋友・武市半平太が結成した土佐勤王党に加入。
武市の使者として、萩の久坂玄瑞を訪れるなどして、龍馬自身も時代の変遷に関わるようになっていきます。
続く「覚醒」。海の外へ目を向けた志士、28~31歳。
土佐での活動に限界を感じた龍馬は、28歳のときに脱藩します。
再び江戸に向かった矢先に出会ったのが勝海舟でした。
勝を訪れた龍馬は、その思想に感銘を受けて、その場で弟子入りします。
本誌のイラストでは、勝「今の日本には開国が必要だ」、龍馬「お手伝いします!」なんてシーンが。
龍馬は勝の海軍操練所設立に尽力すると、後に日本初の貿易商社「亀山社中」を設立します。
このとき、時代は、池田屋事件、禁門の変など、風雲急を告げていました。
■龍馬の生涯:飛翔から終焉
そして「飛翔」。歴史を動かした風雲児、32歳。
龍馬32歳の慶応2年(1866年)は、なんとも濃密な1年です。
龍馬率いる亀山社中は、薩摩藩と長州藩の商取引を仲介。
それが、犬猿の仲であった両藩のわだかまりを解き、歴史的な会談を導きます。
この年(1866年)、龍馬の立合いのもとで、薩摩藩・西郷隆盛と長州藩・木戸孝允が会談。
後の歴史を動かす「薩長同盟」が結ばれたのでした。この歴史的な場面もイラストで掲載されています。
この会談の数日後、薩長同盟に祝杯をあげる龍馬を幕府捕方約100名が襲います。
世に言う「寺田屋事件」。龍馬は左右の指を斬られながらも、ピストルで応戦。何とか逃げ切りました。
そして訪れる「終焉」。龍馬33歳。
土佐藩参政の後藤象二郎と意気投合した龍馬は、脱藩罪を許され、土佐の海援隊の隊長になります。
土佐藩士に戻りながらも、龍馬はあくまで「ニッポン人」でした。
新政府設立に向けた「新政府綱領八策」を作成、福井藩士の由利公正に新政府の財源について意見を求めるなど、ニッポンの未来を夢描きます。
しかし、慶応3年(1867年)11月15日、京都の近江屋にいた龍馬を凶刃が襲います。
龍馬33歳。大志成就を目前にして、その命は失われました…。
■さらに克明に…
本誌では、この龍馬33歳の生涯を、さらに克明に解き明かしています。
その特集頁のタイトルを観ただけで、歴史ファンならずとも心わき立つのではないでしょうか。
「龍馬を誰が、なぜ暗殺したのか?」
「全135通の手紙から読み解く坂本龍馬の実像」
「龍馬に影響を与えた13人の志士たち」
「龍馬が愛した女たち」 等々
あらためて龍馬という人物に惚れ直してしまう、読み応えたっぷりの特集でした。
ありがとう、歴史人! ありがとう、坂本龍馬!