宮城谷昌光「晏子」(あんし)古代中国の半沢直樹、燦然と輝く!

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、宮城谷昌光さんの中国歴史小説「晏子」(あんし)をとり上げます。

■あらすじ

ときは、古代中国春秋期
利己的な君主と高慢な官僚が闊歩する斉は、大国・晋の怒りをかって危機に陥ります。

そんななか晏弱(あんじゃく)ただ一人、内政では礼を実践し、軍事では非凡な智謀を発揮。
特に、悲願であった東国の莱(らい)の併呑を奇想天外な戦略で成し遂げると、斉の再興を進めます。


晏子(一)

そんな晏弱を亡くした後、斉を支えたのは、その息子・晏嬰(あんえい)でした。
父の死後、古礼に従い三年に及ぶ服喪を成し遂げた晏嬰は、内憂外患の政局に登場します。

虎視眈々と斉を狙う晋などの隣国群…。権力闘争の末に君主が虐げられる脆弱な政情…。
晏嬰は、故国・斉のために諫言を厭わず仁政を追い求めます。果たして、晏嬰は斉を救うことができるのか

■晏子

中国時代小説の大家、宮城谷昌光さんの作品です。
宮城谷さんはその作品の中で、私たち日本人には馴染みのない古代中国の傑人を紹介してくれます。

今回取り上げる傑人は、「晏子」(あんし)です。
すいませんが、この小説を読むまでまったく知りませんでした…。教科書には出てこないよね…。


晏子(二)

ただ、この晏子は、古代中国の春秋時代で一二を争う名宰相と称される人物
司馬遷の「史記」では、名相・管仲と並んで「管晏列伝」がもうけられるほど、高い評価を受けています。
なんと、作者の司馬遷は「御者になりたい」と語るほど心酔しています。

この「管晏列伝」で取り上げられているのは、「晏嬰」(あんえい)です。
宮城谷さんは、独自の調査と発想力によって、この晏嬰とその父親・晏弱を描きました。

宮城谷さんは、史記に名を残す傑物・晏嬰を描くにあたって、その人格形成に大きな影響を与えた父親・晏弱から始めないと、その人物を描き切れないと思ったのではないしょうか。
これが「晏子」の物語に厚みを与えました。

物語は、前半が「武」の晏弱、後半が「文」の晏嬰の活躍を描く構成になっています。
戦記もの好きには、前半の晏弱の「莱」(らい)攻略戦はたまらないでしょう。
太公望が成し遂げられなかった莱併呑を成し遂げたのが晏弱です。それもとんでもない作戦で。父親も傑物だったんですね。

■古代中国の半沢直樹

その遺志を受け継いだのが、息子の晏嬰(あんえい)です。
活躍の舞台は主に内政ですが、それでもその半生は「戦い」の日々と言えます。

彼の怒りの矛先は、内なる不正や傲慢に向けられます。
その様は、まるで古代中国の「半沢直樹」


晏子(三)

晏嬰が若かりし頃、町の女性の間で男装をすることが流行り、君主はこれを止めさせようと禁令を出しました。
しかし、実はこの流行は君主の妃から始まっていたもの。君主はそれに目をつぶっていたので、流行は収まりませんでした。

誰もがそれを口にするのを憚るなか、晏嬰が果敢と諫言します。
「君のやっていることは、牛の頭を看板に使って馬の肉を売っているようなものです。宮廷で禁止すればすぐに流行は終わります。」
その通りにすると流行は収まりました。この故事は「牛頭馬肉」の言葉を生み、後に変化して故事成語の「羊頭狗肉」になりました。

他にも、晏嬰の諫言は留まるところを知りません。一時は、君主に疎まれて隠遁することになります。
それでも命をつないだのは、彼の諫言がすべて「斉」のためを思ってのことだったから。
私利私欲はまったくありません。この辺りが、司馬遷や後世の人たちが彼を敬慕している理由なんでしょうね。


晏子(四)

物語の最後に名シーンがあります。
晏嬰が危篤に陥ったとき、彼がさんざん諫言してきた君主(景公)は馬車に飛び乗り、速度が遅いと自ら手綱をとって、晏嬰の家に向かいました。
そして晏嬰の遺体にすがるとすがると泣き崩れます…。それは景公の感謝の涙でした。「あなた以外の誰がこれから私を責めるのか」と…。

こんな傑人、いつの時代にもほしいですね
晏弱・晏嬰を描いた古代中国小説「晏子」。古代中国の半沢直樹の物語を読んでみませんか。

ありがとう、晏嬰! ありがとう、晏弱! ありがとう、宮城谷昌光「晏子」!

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