こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「歴史人」2021年11月号、「日本の仏像 基本のき」です。
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2021年11月号の特集は、「日本の仏像 基本のき」です。
「仏像」とは、歴史人さん、なかなか珍らかなテーマを取り上げましたね…。
たしかにお寺巡りをすると、圧倒的なオーラを発する仏像に出会うことがあります。
でも、今までは仏像のことを詳しく学んだことはありませんでした…。
知っていれば仏像鑑賞が100倍面白くなる!
と副題のついた保存版特集、おとなの歴史学び直し企画。
「仏像鑑賞術の極意」から、「仏像の誕生と日本伝来の軌跡」、「いまさら聞けない!日本の仏像 基本のき」など、誌面にはあなたの知らない仏像情報が満載です。
戦国ファンにはたまらない「戦国武将が愛した仏像たち」なんて特集ページも…。
今日は、あまり知られていない「日本の仏像」の歴史をたどる旅へ。
「歴史人」の誌面から、ニッポンの歴史旅に出かけましょう。
■仏像鑑賞術の極意
特集の冒頭、導入部として掲載されているのが、「仏像鑑賞術の極意」です。
宗教学者の島田裕巳さんが、仏像の誕生、伝来、発展から仏像鑑賞の際のポイントまでを分かりやすく解説しています。
仏教の伝播に大きく貢献した「仏像」ですが、初期の時代には仏像は造られていませんでした。
仏教発祥のインドに像を造るという文化が無かったからです。
そのインドで仏像が造られるようになったのは紀元前1世紀ごろ、ギリシアの神像の影響がありました。
アレキサンダー大王の東征がもたらした、東西文化の融合のたまものと言われています。
日本にも、朝鮮半島や中国から仏像が伝来しました。
飛鳥時代から奈良時代にかけて、たくさんの仏像が造られ仏教の伝播に貢献しました。
鎌倉時代になると、運慶・快慶という稀代の凄腕仏師が登場。
リアリズムに挑戦した作風・技術で、世界に誇る仏像が次々と造り出しました。
こうした優れた仏像が現存していることが、世界の宗教美術のなかでも日本が誇る特徴なんだそうです。
中国や朝鮮半島では廃仏という出来事が起こっています。日本でも明治期に廃仏毀釈が起りますが、それでも重要な仏像は難を逃れました。
私たちがお寺巡りで仏像を拝めることは、実はとても貴重なことなんですね…。
島田さんは、仏像に相対することについて、「単に美術品を鑑賞することには留まらない」と指摘します。
「私たちのこころを日常の雑事から解放し、日頃は気づきもしない神聖で静粛とした世界があることを教えてくれる」と。
特にさまざまな難事を抱える今の時代は、心のありようをリフレッシュすることが必要なのかもしれませんね。
■戦国武将が愛した仏像たち
戦国武将たちも、戦いに明け暮れながらも、あつく仏教を信仰しました。
闘いに明け暮れたからこそ、神仏の御加護によって自らと家臣・領民を護り、戦勝を祈願し、泰平の時代の到来を願いました。
たとえば、豊臣秀吉は、「三面大黒天」という高さ20㎝ほどの像を肌身離さず持ち歩いたと言います。
徳川家康も、「白本尊」「黒本尊」と呼ばれる2体の仏像を念持仏としました。その家康は天下統一を果たし、願いであった天下泰平の世を実現しました。
武将のごとく大剣を持った「不動明王」を信仰したのは、武田信玄、浅井長政、毛利元就など。
ちなみに、不動明王はその剣で人々の苦悩な煩悩を切り裂いたのだとか。信玄は、自身の姿に合わせた不動明王像を彫らせたりしています。
七福神の一神として親しまれる「毘沙門天」を信仰したのは、上杉謙信や大内義興、豊臣秀次など。
謙信は、自らを毘沙門天の生まれ変わりと称し、「毘」の文字を旗印に掲げました。毘沙門天は、仏国土(仏の世界)を護る四天王のリーダーで、北方の護り神です。
さらに、古来より日本人に信仰されてきた代表的な仏「菩薩」を念持した武将は、石田三成、明智光秀、真田幸村、伊達政宗など。
菩薩は、自分の悟りだけでなく、他者の幸福を願い救済する慈悲の仏。悲運の武将が多いのは偶然か…。ただ、その思いは後世に継がれていますね。
他にも、仏像に関する記事が盛りだくさん。
普段ふれることのないテーマだけに、はじめて知ることがいっぱいありました。
国宝に指定されている仏像彫刻54か所の所蔵先一覧なんてのもあります。
心のありようをリフレッシュしたい方には最高のガイドブックになるでしょう。もちろん、館長ふゆきも…?
ありがとう、歴史人! ありがとう、「日本の仏像 基本のき」!