歴史人「古代史研究最前線」!卑弥呼は誰?邪馬台国はどこにあった?

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館長のふゆきです。

今日の夢中は、歴史人「古代史研究最前線」!卑弥呼は誰?邪馬台国はどこにあった?です。
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■歴史人

いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」
2023年10月号でとりあげるのは、日本という国のカタチをつくり上げた時代…古代史です。

特集名は、「古代史研究最前線」
「令和の定説はコレだ!」と関する保存版特集です。


歴史人2023年10月号

表紙には、古代史にまつわる多くの「なぜ?」が記されています。
聖徳太子のなぜ?「古事記」と「日本書紀」のなぜ?卑弥呼の正体が判明?天皇陵のなぜ?邪馬台国の畿内説と九州説がついに決着?などなど。

どれもこれも興味を引かれる「なぜ?」ですよね…。
頁をめくると誌面には、最新の研究から導かれた、古代史に関する令和の定説が掲載されています。

今日は、浪漫あふれる古代の世界へ…。最新研究で紐解く古代史のあの謎この謎。
歴史人の特集「古代史研究最前線」から、古代史ミステリーの旅にでかけましょう。

■邪馬台国はどこにあった?

数ある古代史ミステリーのなかでも、最大の謎ともいえるのが「邪馬台国はどこにあった?」問題です。
畿内か、九州か…。この論争はなんと江戸時代から300年もの長きにわたり続いています。

そもそも所在地論争が勃発する理由は、邪馬台国のことを記す中国史書に曖昧な記述が多いから。
「魏志」倭人伝に邪馬台国への行程が記載されているのですが、記載通りに追っていくと九州南方の洋上になってしまいます。

このことから、研究者たちは距離と方角のいずれかを誤りと考えました。距離が間違いなら「九州」、方角が間違いなら「畿内」…。
ただどちらも決定的要素に欠けていて、今なお論争が続くことになっているんですね。


(纏向遺跡居住地跡/写真ACより)

そんな論争に一石を投じているのが、奈良県桜井市にある「纏向遺跡」(まきむくいせき)です。
ここで行われた平成21年の調査で、南北約19m、東西約12mにおよぶ建物を含む3棟の大型建物群の遺構がみつかりました。

これらは3世紀前半の遺構…つまり卑弥呼の時代に重なるんですね。さらには同遺跡から2700個以上の大量の桃の種が出土。
桃は道教思想で不老不死の果実とされており、呪術をおこなっていた卑弥呼との関係も指摘されています。

こうした最新の考古学的発見から、近年では畿内説が優勢になっているようです。
畿内説の場合にはヤマト政権への連続性も現実味を帯びます。果たしてこの後、邪馬台国論争に決着がつく日は訪れるのでしょうか…。

■卑弥呼の正体

そんな邪馬台国の女王とされる卑弥呼。その正体についても最新の研究成果が紹介されています。
実は、卑弥呼が登場するのは中国の「魏志」倭人伝。そのため、卑弥呼は日本側の史料でいうと誰に相当するのかが議論の的となっています。

何人か候補がいますが、なかでもとりわけ有力とされるのが「倭迹迹日百襲姫命」(やまとととひももそひめのみこと)。
なんか早口言葉みたいな名前ですね…。この女性は実在の人物で、崇神天皇の治世に巫女的な役割を果たしていたとされます。

さらに倭迹迹日百襲姫命の生きた時代は、卑弥呼と同じ3世紀前半から中頃。中国側の史料といろいろ辻褄が合うんですよね…。
卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命なのか?だとすると、もう一つ興味深い謎に繋がります。それは卑弥呼の墓がどこかというもの。


(箸墓古墳/写真ACより)

倭迹迹日百襲姫命の墓とされるのが、「箸墓古墳」(はしはかこふん)です。この古墳、奈良県桜井市にあります。
そう…近年の調査で邪馬台国の候補として注目されている纏向遺跡の近くにあるんです。これは来たか…。邪馬台国が畿内にあったとすれば、卑弥呼の墓がここにあってもおかしくありません。

ちなみに、卑弥呼の死因についても謎に包まれていて、殺害説や魏の介入説などが存在しています。
はてさて、これからの研究で卑弥呼の正体が明らかになる日がやって来るのでしょうか。これからの研究の進捗を楽しみに待ちたいと思います。

本誌は他にも、聖徳太子と大化の改新にかかわる最新の定説や、乙巳の変や壬申の乱の真実など、古代史の謎に迫ります。
これは古代浪漫が広がる…。今日は、歴史人の特集「令和の定説はコレだ!古代史研究最前線」でした。

ありがとう、歴史人! ありがとう、「古代史研究最前線」!

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