こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「旅の手帖」2020年3月号、特集「信長と光秀の時代」です。
■旅の手帖
旅の楽しさ、日本の美しさを伝える旅行雑誌、「旅の手帖」。
「旅の手帖」2020年3月号は、興味深い特集が2つ。
一つは、「日帰り温泉 ひとり旅」。表紙の、気持ち良さそうに温泉につかる姿がいいですね。
東京、大阪、名古屋などから、日帰りで楽しめる温泉施設が紹介されています。
温泉特集も肌寒いこの時期にぴったりなのですが、今回取り上げるのは、同じくこの時期に旬な第2特集。
それがこちら。「信長と光秀の時代」。
「戦国武将2人の面影を探して」と冠された、信長と光秀のゆかりの地を訪ねる旅です。
大河ドラマ「麒麟がくる」で一躍注目を集めている明智光秀。
そして彼が本能寺の変で討つ、主君である織田信長。
「裏切り者」のイメージのある明智光秀がどんな人物だったのか。
ゆかりの地を訪ねながら、光秀と信長の人生を辿ろうという、なんとも時宜をとらえた特集です。
今日は、「旅の手帖」2020年3月号をひらいて、信長と光秀のゆかりの地をバーチャルトリップしてみましょう。
■2つの出生地
そもそも明智光秀は出自がはっきりしていません。
史料があるのは織田信長と出会ってから。その前半生は謎だらけで、生年も出生地も定かではありません。
…ということで、誌面にも出生地と目される東美濃の2つの町がとり上げられています。
一つは、岐阜県可児市。
ここは、中世に「明智荘」と呼ばれる荘園だった土地。
美濃で一大勢力を誇った土岐氏一門がこの地を治めるようになり、荘園名から明智姓を名乗りました。
光秀は、この明智一族の居城である明智城で生まれたと言われています。
誌面の写真を見ると、建物や石垣は残っていません。「本丸跡」とされる小高い山があるだけ…。
この城は、斎藤道三・義龍の覇権争いに巻き込まれて落城しているんですね…。
若き光秀も必死に戦い、そして敗走したのでしょう…。果たして大河ドラマではどのように描かれるのでしょうか…。
もう一つの出生地候補は、岐阜県恵那市です。
こちらにも城跡があります。それが「土岐明智城跡」。
鎌倉時代に明智遠山氏が築いた砦とされていますが、ここで光秀が生まれたという伝承もあります。
三の丸跡には「光秀産湯の井戸」も…。
この2つの出生地と、信長もゆかりの岐阜市には、それぞれ大河ドラマ館が開館しています。
ドラマと合わせて、ゆかりの地も盛り上がってますね。
■坂本
続いてバーチャルトリップするのは、滋賀県大津市の坂本です。
ここには、信長の命によって光秀が築いた坂本城がありました。
フロイスの「日本史」にも記述のある、荘厳な天守を持つ城であったようです。
ただ、残念ながら今は、城址の石碑と光秀の石像がひっそりと立つだけ…。
本能寺の変の後、光秀は秀吉との戦いで敗北。この城に向かう途中で命を落としました。
坂本城も、光秀の妻子とともに焼け落ちました。
この坂本の地には、光秀の菩提寺である西教寺もあります。
ここには光秀と一族の墓があります。
早逝した妻の熙子の墓もあるのですが、光秀は妻の葬儀に参列したという伝承があります。
これは、当時の習わしでは前代未聞の行いでした。光秀のひとが偲ばれますね。
他にも誌面には、光秀が城を築いた京都亀岡や福知山の地が紹介されています。
さらには、信長ゆかりの岐阜や安土も。
観光スポットとともに、あまり知られていないエピソードも記載されていて、読みごたえ十分です。
いま旬な光秀ゆかりの旅。「旅の手帖」でバーチャルトリップしてみてはいかがでしょうか。
ありがとう、旅の手帖! ありがとう、明智光秀!