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館長のふゆきです。
今日の夢中は、徳川家康(4)葦かびの巻!家康を震撼せた三河一向一揆…信長との再会も!です。
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■あらすじ
"海道一の弓取り"今川義元死す…。
田楽桶狭間で起きた驚天動地の事態に、三河を含めた東海一円が大きく揺れ動きました。
松平元康(徳川家康)は、窮地を切り抜け、13年ぶりに岡崎城に帰城…。
今川氏から独立する意志を固めると、今川方の諸城を攻撃。尾張の織田との和睦に動きます。
そして信長と再会し同盟を結ぶと、三河平定の歩みを着実に進めていきました。
しかし、そんな元康に内なる敵が襲い掛かります。それが三河国内の一向衆寺院でした。
後に「三河一向一揆」として知られる、元康を震撼させる蜂起が西三河一帯に広がります。
果たして、家康の運命はいかに?三河の平定は成るのか?
■三河一向一揆
山岡荘八「徳川家康」全26巻。
その第4巻「葦かびの巻」で描かれる時代は次の通りです。
永禄3年(1560年) 桶狭間の戦いで今川義元が戦死。元康、岡崎城に入る
永禄4年(1561年) 今川方と三河牛久保で戦う
永禄5年(1562年) 人質交換で駿府にいた瀬名(築山殿)と信康を引き取る
永禄6年(1563年) 三河一向一揆が起こる。名を家康に改める
永禄7年(1564年) 三河一向一揆を平定
永禄9年(1566年) 姓を徳川に改める
これまた盛りだくさんな年表です。まさに「どうする家康」の連続…。
桶狭間の戦いのとき、家康は19歳。三河一向一揆が起きたときは22歳ですから、若くして危機の連続でした。
なかでも、この巻のハイライトと言えるのが「三河一向一揆」です。
家康の三大危機の一つと言われる事件(あとの2つは、三方ヶ原の戦い、本能寺の変後の伊賀越え)。
本書でも「永禄六年の九月から、七年の二月に及んだ三河の一向一揆ほど家康を驚愕させたものはなかった」と綴られます。
「佐崎の上宮寺からわずかな籾を借りようとしたのがきっかけで、三河一円の大騒動」になりました。
家康を悩ませたのは、一揆衆のなかに松平家の家臣が多く混じっていたこと。
13年の人質生活の間ですら鉄のような結束を示した岡崎衆が、一向宗寺院の蜂起によって分断させられたのです。
「まさか、あやつが…」。家康も一揆方に投じた家臣の顔を見るたびに混乱しました。
堪忍袋の緒が切れた家康が力攻めしようとしたそのとき、生母於大の方が家康を諭します。
「それより大切なのは、殿が、何年かかろうと家臣たちの考え直すまで、説いて、説いて、説きぬく決心を遊ばすことこそ大事と存じまする」
■家康の成長
やがて、家康の家臣や領民を思う心が、一揆方に与した家臣たちの心を変えていきます。
「うぬはわが家の家の子だ」「このままでは次の冬は飢え死にぞ」「わしの代りにもう一膳の湯づけはな、そちが食べよ」。
この辺りは、小説とはいえ、領主たるものが持つべき心構えをよく示していると思います。
家康は、この一揆によって上に立つ者として大きく成長しました。また、結果として岡崎衆の結束を高めることになったのです。
本書ではさらに、信長と家康が同盟を結ぶ、通称「清州同盟」の場面が描かれます。
家臣たちの心配をよそに、人質時代以来の再会を喜ぶ信長と家康…。2人が兄弟の盃を交わすシーンは本書の名場面の一つです。
最近の研究では、2人が清州で会談したという事実はないという説が有力みたい…。
それでも織田と松平(徳川)が同盟したのは事実。実際にこの後、家康は生涯、織田の同盟者の立場を貫くのです。
本書では、今川と決別した元康が「家康」と改名。さらに改姓し「徳川」とします。
ついに、歴史の表舞台に登場した「徳川家康」。しかし、三河の隣りには、戦国最強の武将、武田信玄が控えていました…。
ついに迎える武田信玄との戦い。果たして家康の運命は?それについては、また後のブログ「夢中図書館」で紹介しましょう。
ありがとう、徳川家康! ありがとう、第4巻「葦かびの巻」!