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館長のふゆきです。
今日の夢中は、雪の日の惨劇を糸引いた者…三浦義村は北条義時の盟友か?それとも…永井路子「つわものの賦」です。
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■三浦義村
不可解な人物―。
彼はいま徐々にその性格を明確にしつつある。権謀―といって悪ければ緻密な計画性に富み、冷静かつ大胆、およそ乱世の雄たる資格をあますところなく備えたこの男は、武力に訴えることなく、終始北条一族を、振廻しつづけた。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目の鎌倉草創期。そこで絶大な権力を握ったが北条一族でした。
その北条一族を終始「振廻しつづけた」と評される人間…。その者の名は、三浦義村(みうらよしむら)です。
章頭の人物評は、永井路子さんの歴史評伝「つわものの賦」のなかの一文です。
「炎環」「北条政子」などで鎌倉草創期を鮮烈に描いた永井さん。小説家としてはもちろん、鎌倉時代の考証でも第一人者として信望を集めます。
その永井さんが「日本の生んだ政治的人間の最高傑作の一つ」とまで評して、三浦義村に着目する理由があります。
それは、鎌倉最大の悲劇ともいえる将軍・源実朝の暗殺…。それを糸引いたのが三浦義村だと考えられるからです。
三浦義村黒幕説…。永井さんが指摘して、歴史学者の間でも支持が広がっている説です。
今日は、永井路子著「つわものの賦」第十章「雪の日の惨劇」から、実朝暗殺の影に何があったのかを紐解きましょう。
■雪の日の惨劇
3代将軍・源実朝の暗殺事件は、建保7年(1219)正月、大雪の降りしきる夜に起きました。
実朝に凶刃を振り降ろしたのは、甥の公暁。彼は、父頼家(実朝の兄)が非業の死を遂げたことを恨み、自ら将軍になろうとして実朝を殺した…。
一見わかりやすそうでいて、謎に満ちた殺人事件です。それゆえ、様々な説が巷で唱えられました。
なかでも定説とも言えるように流布していたのが、「事件の黒幕は北条義時だ」という北条氏陰謀説です。
この説によると、執権の北条義時が、青年となり政治を執るようになった実朝が邪魔になり、公暁をそそのかして実朝を暗殺…。
事がなると、義時はとたんに公暁を将軍殺しの犯人として殺害。義時の目論見通り、源氏の血統は絶え、北条氏の天下となった―。
一見すると筋が通っている北条氏陰謀説ですが、永井さんはこの定説に疑問を呈しました。
さすがは「吾妻鏡」を何度も読み返したという永井さん。その中に、この説の根本にある北条氏と実朝の対立は、気配も感じとれないと指摘します。
むしろ、史書を見る限りでは、実朝は東国の王者としてバランスのとれた存在であり、「北条氏にとっては自慢の"旗"だったのではないか」と言います。
氏が注目するのは、この時代の権力構造の変化です。平安期では朝廷の外戚が権勢を振るったように、中世日本では養君の乳母一族が権力を握りました。
頼朝は配流時代も乳母・比企尼に庇護されましたし、北条氏が頼家を廃したのも、その背後に頼家の乳母・比企氏がいたからでした。
実朝の乳母を務めていたのは、北条一族の阿波局です。北条氏にとって大切な「旗」である実朝を害すことは「自殺行為に等しい」のです。
■公暁と三浦義村
さらに永井さんは、「吾妻鏡」の一節に着目します。
「公暁は、北条義時が太刀持ちを務めていることを知っていて、その役を務める人物を狙って斬りつけた」。※現代語に意訳
明らかに公暁は義時も殺そうとしていたのです。公暁は、義時を実朝側の人間と見ていました。
実際に、このとき義時と代わった太刀持ちの源仲章が殺害されています。義時は、直前に危機を察知して逃げ出した…そう考えられます。
さらに氏の推理は進みます。緊迫の場面を伝える「吾妻鏡」のなかに登場する「乳母」の言葉。
実朝暗殺後、公暁に命じられて使いに走ったのは弥源太という乳母子でした。その行先は、三浦義村邸。義村は公暁の乳母夫でした…。
三浦義村は待っていたのだ。彼一流の粘り強さで―(中略)宿敵北条との対決の機はいよいよ来たのである。
三浦義村という人間は、先の人物評にある通り、乱世の雄たる素養を多分に持った人物であり、これまでも梶原景時の弾劾や畠山重忠一族の討滅、和田合戦における和田氏殲滅などで、鍵となる働きをしました。
その義村がついに、自らが乳母夫を務める公暁をかついで、最大の政敵・北条義時との大勝負に打って出た…。そう永井さんは見ています。
■三浦対北条
実際に、実朝暗殺事件が起きた日、義村は重臣にも関わらず、なぜか実朝の行列には参加していません。
そのとき義村は、自邸に兵を集めて北条義時暗殺の報を待っていた…そんな想像もできます。
しかし、義時死すという報せは入りませんでした。義時が危機一髪、行列から脱出したのです。彼の情報網が不穏な動きを捉えたのかもしれません。
そう…。北条義時も、三浦義村と同様、いやそれ以上に、乱世の雄たる素養を持っていました。
実朝暗殺というクーデターは、半ば成功し、半ば失敗しました。
義時を討ち漏らした義村は、作戦を練り直します。一方の義時も、義村の野心に勘づき臨戦の構えを整えます。三浦義村と北条義時の武器を持たない対決…虚々実々の駆け引きは何とも面白い。
さらに、この乱世の雄2人の緊張関係はその後も続きます。間もなく勃発する東国と西国の決戦…そのとき、義時は、義村は、どのように動いたのか…。
やっぱり永井路子さんの描く鎌倉草創期は最高です。この時代をもっと知りたい方はぜひ、本書「つわものの賦」をお読みください。
今日の夢中は、「雪の日の惨劇を糸引いた者…三浦義村は北条義時の盟友か?それとも…」でした。
ありがとう、永井路子さん! ありがとう、「つわものの賦」!