こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、手塚治虫賞を受賞した、矢部太郎さんの漫画「大家さんと僕」です。
■大家さんと僕
「大家さんと僕」。
お笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎さんがはじめて書いた漫画です。
実話をもとに、矢部さんと大家さんのほのぼのとした日常が描かれています。
大家さんは東京生まれ東京育ち。御年87歳の淑女です。
とても上品な物腰で、挨拶は「ごきげんよう」。
矢部との「二人暮らし」のおかげで寿命が延びたのだとか。
好きなものは伊勢丹とNHKと羽生結弦くん。
一方の矢部太郎さんは、吉本興業所属のお笑い芸人。
お笑いコンビ「カラテカ」のボケ担当。身長158cmで体重40kg。
お笑い芸人なのに、テレビのバラエティでうまく喋れないのが悩みです。
2016年から小説新潮に「大家さんと僕」を連載。
「大家さんと僕」は次第に評判を呼ぶようになり、2017年10月に単行本化されベストセラーになりました。
■奇跡の実話漫画
そもそも矢部さんが大家さんの家にやってきたのは、以前借りていた部屋を追い出されたから。
なんでも深夜番組のロケで、部屋にポケバイレーサーや霊媒師が来て好き放題やったみたい。
そりゃ追い出されるわな…。
大家さんの家は新宿区のはずれにあります。木造2階建ての一軒家です。
矢部さんは、その家の2階に部屋を借りて住むようになりました。
1階に大家さん、2階に矢部さん。「大家さんと僕」の一風変わった「二人暮らし」が始まりました。
この大家さんが、天然でなんともかわいらしい。
タイプがマッカーサー元帥だったり、誕生日のケーキがおはぎだったり、バンジージャンプにあこがれたり…。
矢部さんは、最初は大家さんの天然ぶりにとまどいながらも、次第に心を通わせていきます。
もともと矢部さんも天然だから相通じるものがあったのかもしれません。
ときに笑い、ときにほっこり、そしてほろりとさせられる、奇跡の実話漫画です。
2018年4月に、第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞しました。
■「手塚治虫文化賞」受賞スピーチ
その矢部さん。「手塚治虫文化賞」の贈呈式で素敵なスピーチをされました。
まずは漫画を描くきっかけから。
僕はいま40歳で、38歳のときに漫画を描き始めました。
38歳で漫画家になると言ったら、普通は周囲が全力で止めると思うのですが、僕の場合は、「作品にした方がいいよ」と言って下さった方がいました。
倉科遼先生は僕の漫画をとても褒めて下さって、自分が自費出版してでも出したいと言って下さいました。
相方の入江くんもすすめてくれて、入江くんの方は僕はあんまり覚えていないんですが、本人がそう言うので、そうなんだと思います。
…と、背中を押してくれた周囲に感謝。さらに続けます。
でも一番は、大家さんがいつも、「矢部さんはいいわね、まだまだお若くて何でもできて。これからが楽しみですね」と言って下さっていたのですね。
ご飯を食べていても、散歩をしていても、ずっといつも言って下さるので、本当に若いような気がしてきて、本当に何でもできるような気がしてきて。
これはあまり人には言っていないのですが、僕の中では、38歳だけど18歳だと思うようにしていました。これは本当に効果があって、10代だと思ったら大概の失敗は許せました。
…と、大家さんに対する感謝と愛情のこもったコメントも。
そして、38歳にして描いたはじめての漫画で手塚治虫賞を受賞することに「想像もつきませんでした」と驚きを隠しません。
それでも、あの頃、全力で漫画を読んでいたこととか、芸人として仕事をして創作に関わってきたこととか、子供の頃、絵を描く仕事をする父の背中を見ていたこととか、なんだかすべては無駄ではなく、繋がっている気がしています。
それは僕だけじゃなく、みんながそうなのではないかとも思います。
ちなみに、矢部さんのお父さんは、絵本作家のやべみつのりさんです。
きっと、矢部さんにとってはじめての漫画だったけど、それまでの38年間のいろんな積み重ねが、こんな素敵な作品を生み出すことに繋がったんでしょうね。
最後はこんな風に言ってスピーチを締めくくっています。
お笑い芸人が僕の本業なのですが、人前でうまくしゃべることが苦手です。
そんな「うまく言葉にできない気持ち」を、これからも少しでも漫画で描いていけたらと思っています。
本日は本当にありがとうございました。
こちらこそ、ほっこりした作品をありがとうございました。
ありがとう、矢部さん! ありがとう、「大家さんと僕」!