歴史人「徳川家康人名目録」!家康はいかに人を惹きつけたのか?筆マメ家臣が記した日記も

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館長のふゆきです。

今日の夢中は、歴史人「徳川家康人名目録」!家康はいかに人を惹きつけたのか?筆マメ家臣が記した日記も…です。
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■歴史人

いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」
2023年5月号は、大河ドラマで注目のこの武将…「徳川家康」を大特集。

大河ドラマ「どうする家康」の登場人物がまるっとわかる最高の副読本。
時代別の相関図で人間関係が面白いほどわかる!「徳川家康人名目録」です。


歴史人2023年5月号

天下人はいかにして、「人」を見定め、動かしたのか
家族・家臣・ライバルとの関係を時代別にて徹底解析。

家康のルーツ松平一族とは?なぜ敵の遺臣を次々と登用したのか?なぜ側室は初婚でない女性が多かったのか?
若き人質時代、五ヵ国領有時代、関東時代、大御所時代のそれぞれの人間関係は

表紙と目次を見るだけでもう…これは大河ドラマファンにはたまりません
これまで登場してきたあの人この人、これから登場するであろうあの人この人、全く登場しないあの人この人…。

歴史人のこの特集を読めば、大河ドラマがもっと楽しくなるでしょう。
今日の夢中は、歴史人5月号特集「徳川家康人名目録」です。

■家康の対話力

人質として過ごした幼少期から様々な難局に直面してきた家康。その生涯はまさに「どうする家康」の連続でした。
それらを乗り越えるうえで、周囲の人々との信頼関係が支えとなっていたことは間違いありません。

天下人へ昇りつめた家康は、敵将から家臣まで多くの人々と対話する力を、いかにして磨き上げたのでしょうか。
大河ドラマの時代考証を務める平山優氏が家康の「対話力」を考察、歴史人に寄稿しています。


新説 家康と三方原合戦/平山優

平山さんがまず指摘するのが、今川の人質時代に施された教育です。
若き家康は、今川義元の側近・太原雪斎に師事し、その薫陶を受けたとされます。

家康は雪斎から、中国の兵法書をはじめ多くの古典の教養を授けられました。
このとき培った教養が、家康の「対話力」の土台となったことは想像にしくはありません。

平山さんは史書に残る様々な逸話からも、家康の対話力に注目しています。
たとえば、家康を苦しめた三河一向一揆。譜代の家臣、夏目広次も家康に離反します。ただ、広次は家康と積極的に戦うことはせず、まもなく捕縛されました。

このとき家康は使者を送り、広次は憎い奴だが、今は籠のなかの鳥と一緒。もはや殺したも同じならば、助命するようにせよと命じました。
家臣らは皆、家康の慈悲心に感じ入ったといいます。後に広次は、三方ヶ原の戦いで、身を挺して家康を守り戦死しています。

さらに、開戦一歩手前に直面していた羽柴秀吉に臣従する決断のとき。
家康は秀吉の求めに応じて上洛の途につきますが、家臣らは家康が京で謀殺されるのではないかと反対します。

その時家康は「自分が上洛せねば、秀吉と断交となり開戦になるだろう。私一人が腹を切って万民を救うのだ」と諭したといいます。
平山さんは言います。「家康が身を捨てて、家臣と領民を護ろうとした姿は王としての気概をよく示すものといえる」。まさに後の天下人となる家康の人間力があらわれています。

■家忠日記

信長のように力に拠らず、秀吉のような人たらしでもなく、家康は広い心で人心を掌握したようです。
そんな家康に臣従した松平家臣の日記が残っています。その家臣の名は「松平家忠」!…と言っても知らないですよね。

それもそのはず、家康の遠い親戚なんですが、徳川四天王でもない、目立った功績もない、ごく平凡な家康の家臣です。
ただ、このひとは筆マメでした…。17年間にわたり日々見聞きした出来事を日記に綴ったことが、その名を後世に残しました。それが「家忠日記」。家康研究の一級史料です。


家康家臣の戦と日常 松平家忠日記を読む

ここに書かれた、何気ない出来事から、家康にまつわる人々や事件の真実をうかがい知ることができます。
たとえば、家康の長男・信康の切腹事件。従来は信長が家康に命じて殺害させたとされてきました。しかし家忠日記には、信長関与の記述はありません。
一方で、家康からの自立を目論む信康とそれを許さない家康の行動が書かれており、ここから事件の主要な原因は父子の対立によるという説が浮かび上がるのです。

さらに、本能寺の変の報が1日半で三河にいる家忠の耳に届いたことや、当時堺にいた家康がわずか2日半で帰国したことが記されています。
また、秀吉と家康が雌雄を決した小牧・長久手の戦いに出陣。その戦の一部始終を日記に残しています。さらに、両者の講和が成った後も家康が秀吉の侵攻に備えていたことが分かるのです。

日記には普段の生活も記載されています。興味深いのは、家康が家忠ら家臣をねぎらって様々なものを振る舞ったり、気さくに宴をしたりしていること。
こうした記述から、家康と家臣団の結束の強さをうかがい知ることができます。家臣たちは家康を「おらが殿様」として敬愛していたのではないでしょうか…。

実際に家忠は、関ヶ原合戦前哨戦となる伏見城の戦いで、石田三成に屈することなく大軍を相手に奮戦。
家忠自身も槍を振るい石田勢を度々追い返しますが、最後は切腹、壮絶な最期を遂げました。


他にも本誌には、時代ごとに家康をめぐる人物たちが、相関図とともに詳述されています。
家康を援けた家臣団や家族、家康の前に立ちはだかったライバルたちも…。これは「徳川家康人名目録」という名にふさわしい一大特集です。

今日の夢中は、歴史人5月号の特集、時代別相関図で人間関係が面白いほどわかる!「徳川家康人名目録」でした。
ありがとう、歴史人! ありがとう、「徳川家康人名目録」!

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