こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、歴史人「空白の4世紀」!邪馬台国とヤマト王権はつながるのか?最新の発見から古代史最大の謎に迫る…です。
「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどころを綴る読書ブログです。あなたのお気に入りの一冊を見つけてみませんか?
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2024年11月号は、歴史人が定期的に取り上げる日本の古代史の特集が組まれました。
それが保存版特集、日本の古代史「空白の4世紀」8つの謎に迫る!です。
そもそも謎の多い古代史。日本に残る史料は希薄で、この時代を知るには中国の史書を頼らざるを得ません。
有名な倭国の女王・卑弥呼が魏の皇帝に朝貢したというのも、中国の史書「魏志倭人伝」に伝えられるもの。
同書に卑弥呼の死後、同族の壱与が女王となって国内の乱を鎮圧したとあり、それが266年頃とされます。
ただそれ以後、中国史書から倭国の情報が途切れます…。次に史料として登場するのは、百済王から倭王に七枝刀が贈られたとされる369年のこと。
この間ほぼ100年。この史書から倭国が消えた時期を、一般的に「空白の4世紀」と呼ぶのだとか…。
正確には空白なのは267年頃から369年までの約100年間。ここに古代史の謎を解く鍵があると、今なおさまざまな調査研究が進められているのです。
そういう空白の世紀があるとは知らなかったな…。でも、だからこそ様々な空想が広がりますね。
歴史人が、その古代史の空白に迫ります。今日の夢中は、歴史人2024年11月号特集、日本の古代史「空白の4世紀」です。
■邪馬台国とヤマト王権はつながるのか?
本特集では、発掘調査での新たな発見などを踏まえて、日本の古代史「空白の4世紀」8つの謎に迫ります。
「全国に広がる前方後円墳の真実」「なぜ空白の4世紀に朝鮮出兵が行われたのか?」など、大変興味深いテーマが深掘りされていますが…。
なかでも個人的に最も興味を引かれたのは、「邪馬台国とヤマト王権はつながるのか?」という謎。
3世紀に存在したと考えられる邪馬台国と、5世紀に倭国を代表していたと考えられるヤマト王権。「空白の4世紀」によって、両者の関連性は謎に包まれているのです。
この謎を解き明かすには、古代最大の謎とされる邪馬台国がどこにあったかという論争に解を見出さないといけません。
有力な2説、畿内説と九州説。邪馬台国が近畿に存在していたとすると、そのあとに成立するヤマト政権につながっていったと捉えるのが自然です。
一方で九州に存在していたとすると、邪馬台国が東遷して近畿に王権を築いたのか、九州の邪馬台国と近畿のヤマト政権が並立していたのが邪馬台国が滅亡してヤマト政権が残ったのか…。
(三輪山と箸墓古墳(纏向古墳群)/写真ACより)
この邪馬台国論争に大きなインパクトを与えたのが、近年の纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)での遺構の発見です。
同遺跡は、桜井市の三輪山北西麓一帯を占める巨大遺跡であり、3世紀前半から古墳時代前期にかけて存続していたと考えられます。
ここで平成21年に大型建築物の遺構が発見。大運河の建設など都市計画の跡や、居住区とされる建物群も検出されたことから、相当なスケールの都市が形成されていたことが明らかになって来ました。
さらに翌平成22年に、2000個におよぶ桃の種を発見。桃の実は古代祭祀においては供物として使われていることから、卑弥呼が行ったとされる宗教儀礼と結びつくものと注目されているのです。
(纏向遺跡居住地跡/写真ACより)
本誌曰く「これらのことから、近年では纏向遺跡を邪馬台国の中心地を考える見解が有力になってきている」。
そうだったのか…。最新の発掘検査は、邪馬台国論争に決着をつけるかもしれないのですね…。
ただ一方で、決定的な証拠が欠けているのも事実。さらに発掘調査が進んで、卑弥呼が魏から授けられた金印が出土!なんてニュースが飛び込んでほしいような、ほしくないような…。
他にも、「別の王朝は存在しなかったのか?」や「蛇行剣・銅鏡・木棺の発見でヤマト王権の実態が解明される?」など注目の記事が満載。
読むほどに古代ロマンが広がります。今日の夢中は、歴史人2024年11月号特集、日本の古代史「空白の4世紀」8つの謎に迫る!でした。
ありがとう、歴史人! ありがとう、特集・日本の古代史「空白の4世紀」!