こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「歴史人」2022年2月号、特集「鎌倉殿と北条義時の真実」です。
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2022年2月号の特集は、「鎌倉殿と北条義時の真実」です。
やはり、この人の特集が組まれましたか…。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時に焦点を当てた特集です。
北条義時は、鎌倉幕府の2代執権として武家政権確立に貢献したひとなのですが、これまであまり表舞台に出ることはありませんでした。
しかも義時が2代執権につくのは源頼朝の死後。その辺りの歴史も多く語られることはありません。
そんな人物に目を付けた三谷幸喜さん(「鎌倉殿の13人」脚本)ってすごいな…。
ドラマでは早速、知らない武将や知らない出来事が登場して、すでに予測不能。序盤から引き込まれる展開となっています。
■北条義時の真実
「歴史人」2022年2月号は、「北条義時の真実」と銘打った保存版特集が組まれています。
出生の謎から源頼朝との出会い、源平合戦、承久の乱、武家政権の確立など盛り沢山。
本誌を読むと大河ドラマの今後の展開がおおよそ予想がついちゃう、なんとも危険な一冊。
ただ、三谷幸喜さんだからきっと、定説とされる歴史にとらわれない、予想不能なストーリーをこしらえてるんだろうな…。
ということで今日は、歴史人が解き明かす「北条義時の真実」の中からこれをとり上げましょう。
大河ドラマのタイトルの元となった「鎌倉殿の13人」の人物像に迫る、「13人の宿老の顔ぶれを全詳解!」です。
「鎌倉殿の13人」とは、源頼朝が急死した後、幕府の有力御家人13人で組織した集団指導体制を指しています。
だから、このタイトルが本当に意味を成すのは、頼朝死後のこと…。そう、クライマックスはまだ先なのです。
「鎌倉殿」とは、頼朝が築いた日本最初の武家政権・鎌倉幕府の首長の呼称です。
正治元年(1199)、源頼朝が53才で急死すると、長男頼家が18才の若さで第2代「鎌倉殿」に就きます。
経験の浅い頼家を支えるために設けられたのが、有力御家人13人による合議組織「鎌倉殿の13人」でした。
それでは早速、鎌倉殿を支えた13人の有力家臣たちの顔ぶれを見てみましょう。
■鎌倉殿の13人
北条時政(ほうじょうときまさ)
伊豆国北条を本拠とした在地豪族でしたが、娘政子が源頼朝と結婚したことにより運命が急転。
頼朝の後援者として御家人たちを統括。頼朝死後は初代執権の座に就きました。
北条義時(ほうじょうよしとき)
時政の次男。姉政子が源頼朝と結婚したため、図らずも頼朝の義弟となりました。
頼朝の挙兵前から付き随い、「家子専一」(親衛隊長)と称され頼朝から厚い信頼を得ました。
中原親能(なかはらちかよし)
下級貴族の家系ですが相模で養育され、その頃に頼朝と知り合ったとされます。
京で捕縛されかけ脱出、鎌倉で頼朝に勤仕。頼朝の代官として幕府と朝廷の仲介役を務めました。
大江広元(おおえひろもと)
親能の弟。はじめは朝廷に仕えていましたが、後に鎌倉に下って頼朝の側近となります。
官位は正四位で義時よりも上位、名目上は将軍に次ぐNo.2として重く用いられました。
三善康信(みよしやすのぶ)
もとは在京の公家。頼朝の乳母の妹の子で、流人時代の頼朝に月に3度京都の情勢を知らせました。
頼朝から鎌倉に呼ばれ政務の補佐を命じられ伺候。問注所の執事(長官)として裁判実務を司りました。
二階堂行政(にかいどうゆきまさ)
鎌倉幕府の文官。頼朝の外祖父・藤原季範の妹を母に持ちます。
公文所(後の政所)の実質的な副官を務めるなど、実務に精通した官僚として腕を振るいました。
比企能員(ひきよしかず)
頼朝の乳母・比企尼の甥で養子。頼家の乳母父を任されるなど頼朝の信頼厚い人物でした。
さらに能員の娘は頼家の妻となり、長子・一幡を生みます。13人の中では北条氏に並ぶ強大な権勢を持っていました。
梶原景時(かじわらかげとき)
石橋山の戦いで頼朝を救ったという逸話の残る武将。源義経と対立した人物としても知られます。
頼朝の寵臣として権勢を振るいましたが、頼朝の死後、その不遜な言動に対する批判が顕在化していきました。
和田義盛(わだよしもり)
相模三浦氏の支族。早くから頼朝挙兵に呼応し、本家三浦氏と共に兵を挙げます。
その功績から初代の侍所に任命され、御家人の最前に立ちますが、思慮が浅く、後に北条義時と衝突します。
三浦義澄(みうらよしずみ)
相模三浦氏の当主。和田義盛の叔父。源氏累代の家人で、頼朝挙兵時にもいち早く合流しました。
源平合戦の功労者であり御家人の間でも信頼厚く、13人合議制には高齢(73才)ながら加わりました。
安達盛長(あだちもりなが)
頼朝の乳母・比企尼の娘婿で、その縁から流人時代の頼朝の家臣となりました。
頼朝挙兵では、使者として各地の関東武士の糾合に活躍。頼朝の信頼厚く、頼朝は私用でしばしば盛長邸を訪れました。
八田知家(はったともいえ)
常陸の大豪族で守護。保元の乱で源義朝に従い功績を上げた武将で、頼朝に早くから従いました。
策士としても知られ、頼朝の異母弟・阿野全成を誅殺した人物としても知られています。
足立遠元(あだちとおもと)
武蔵国足立郡の大豪族。頼朝の父・義朝の家臣で、平治の乱などで功績を挙げました。
源平合戦でも功を挙げ、頼朝から最初に本領安堵されています。文武両道の人と伝わります。
■北条義時はヒーローか?
…と13人のプロフィールをざっと記しましたが、大体が頼朝に古くから仕えた人たちですよね。
そういう意味では、13人合議制は、頼朝時代の政治を継続しようという政子ら守旧派の意図が働いたものと考えられます。
ただ、これが一筋縄ではいきません。まず、2代目鎌倉殿・頼家が13人合議制に激しく反発。
さらに、13人を含めた有力御家人同士の対立が表面化し、熾烈な内部抗争が繰り広げられることになるのです。
この辺りの権力闘争も「鎌倉13宿老たちの陰謀・クーデター抗争図」としてまとめられています。
これがものすごい…。裏切り、闇討ち、騙し合い…鎌倉殿の13人が生き残りをかけた血みどろの抗争を繰り広げます。
梶原景時の変、比企能員の乱、畠山重忠の乱、泉親平の乱、和田合戦…。
鎌倉殿の13人を含めた有力御家人が次々と粛清、排除されていきます。
さらに、矛先は鎌倉殿にまで向かいます。将軍・頼家は幽閉され暗殺…。その子・一幡(6才)も殺害されます。
これらの首謀者が北条氏であったことは論を待ちません。そして、その多くで実行部隊を率いたのが義時なのです。
果たして、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でこの辺はどう描かれるのでしょうか…。
一幡殺害なんて痛ましいし、さらに義時は実父の時政を追放したり、妻の生家である比企氏を滅ぼしたり。3代実朝が暗殺されたときは、なぜか直前で警護を退いたりしています。
決してさわやかな正義のヒーローではないんですよね、北条義時というひとは…。
どうせなら、思い切って冷酷非情な人物として描くのも、前代未聞で面白いかも。
「武家政権の確立」という大変革は、綺麗事だけでは成し遂げられない…。そんなリアルが醸し出されたら、歴史の価値が再認識されるかもしれません。
はてさて、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はどんなストーリーが展開されていくのでしょうか。楽しみに観ていきたいと思います。
ありがとう、歴史人! ありがとう、鎌倉殿の13人!