こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、歴史人「戦国最強家臣団」!戦国大名のかげに家臣団あり…信長、信玄、家康を支えた軍団とは?です。
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■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2024年6月号は、久しぶりに戦国武将ファンにたまらない特集が組まれました。
それが、保存版特集「戦国最強家臣団」織田・武田・徳川ほかです。
戦国大名を支えた軍団の強さに迫る!という文言が付されています。
約100年続いた戦国時代。戦に明け暮れたからこそ整った戦いのシステムが「家臣団」です。
逆に言えば、この家臣団の存在そして強さ無くして、戦国武将は領土を拡大することはできませんでした。
方面軍を組織して天下取りまであと一歩のところまで迫った織田家臣団。
戦国最強と称された武田家臣団、鉄の絆と忠義で天下を制した徳川家臣団などなど…。
戦国乱世に覇を唱えた武将のかげに、主君を支えた家臣団あり…。
今日の夢中は、戦国大名を支えた軍団の強さに迫る総力特集、歴史人「戦国最強家臣団」です。
■織田家臣団
戦国に名を馳せた戦国大名には、その躍進を後押ししたそれぞれの家臣団がいました。
歴史人は、その家臣団に注目。織田や武田、徳川、伊達など、名だたる武将の家臣団を分析、その強さや仕組みを徹底検証しています。
誌面には16の戦国大名の家臣団が紹介されています。それぞれ特徴や変遷があって興味深い…。
…のですが、ここでは特に、戦国ファンとして注目したい3つの家臣団を取り上げましょう。
まずは、天下布武にまい進した織田信長の家臣団…「織田家臣団」。
柴田勝家や羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益、前田利家など、名だたる武将が名を連ねます。
(写真ACより)
その特徴は、徹底した能力主義による人材登用と家臣団編成。
特筆すべきは、早くから側近に前田利家や佐々成正ら次男・三男を集めて親衛隊を構成したこと。
土地にしがらみのない傍系男子を集め、兵農分離を実現。能力主義で外部新参の武将を登用、最強の軍団を形成しました。
信長はこれら家臣団の精鋭を全国各地に派遣。天下統一まであと一歩のところまで迫りました。外部登用の精鋭、明智光秀に討たれたのは、なんとも皮肉です…。
■武田家臣団と徳川家臣団
続いて、信玄の代には戦国最強軍団とまでうたわれた「武田家臣団」。
その特徴は、「武田二十四将」として知られる、常勝の武田軍団を支えた精鋭の存在でしょう。
(写真ACより)
武田四天王と呼ばれる馬場信春・内藤昌豊・山県昌景・高坂昌信をはじめ、真田昌幸や山本勘助など、そうそうたるメンバー。
信玄は、父信虎の時代からの譜代の家臣に加え、才能ある者を次々と登用して最強の家臣団を形成しました。
しかし信玄没後、勝頼の代になると、長篠合戦で譜代家臣団の大半を失います。さらに高天神城の攻防戦で城兵を見殺しにしたことが、家臣団の不信感を招きました。
結果として、織田・徳川軍によって武田氏は滅亡しますが、それは家臣団の内部に生じた亀裂が生んだ必然だったのかもしれません。
そして、弱小国家から天下を取るに至った徳川家康を支えた家臣団…「徳川家臣団」。
信長や信玄と違って、家康の初期の経歴は小国の悲哀に満ちています。主君は織田や今川の人質生活、主家は実質的に今川家に従属。それでも家臣団は家康を支え続けました。
(徳川家康像/駿府城)
のちに三河を平定した家康は、こうした今川人質時代からの忠臣を重用、忠義に厚い「三河家臣団」を形成します。
ただ、これで終わらないのが家康のすごいところ。本多忠勝や榊原康政など有能な若手を登用、古参の家臣に頭の上がらない体制から脱却。
さらに関東転封を利用して、家臣を本領から切り離し、自己の裁量をもって代替地を与える知行体制を築きます。
これによって徳川による統制を強化。そうした支配体制は、江戸幕府による親藩、譜代、外様という日本全国の大名統治に繋がりました。
信長、信玄、家康…それぞれ家臣団の特徴も成り立ちも異なっていて興味深いです。
さらに本誌には、豊臣秀吉や伊達政宗、毛利元就ら、戦国に覇を唱えた武将たちの家臣団が掲載されています。
戦国大名のかげに戦国家臣団あり…。家臣団の強さも、戦国大名の実力のひとつ。
むしろ、その強さをいかにつくり出すかが、戦国大名の命運を分けたと言えるかもしれません。
今日の夢中は、歴史人2024年6月号特集「戦国最強家臣団」、戦国大名を支えた軍団の強さに迫る!でした。
ありがとう、歴史人! ありがとう、戦国最強家臣団!