歴史人「戦国武将の死ランキング」 1位は大河で注目のあの武将⁉

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、「歴史人」2021年1月号、「戦国武将の死生観」です。

■歴史人

いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」
2021年1月号の特集は、遺言状や辞世の句で読み解く「戦国武将の死生観」です。


歴史人2021年1月号

常に死と隣り合わせにあった戦国時代
戦国武将にとっては、「いかに生きるか」と同時に、「いかに死ぬか」が重要なテーマでした。

ある者は合戦の中で散り、ある者は敗戦の責任を負って自刃、ある者は敵に捕らえられて斬首されました。
多くの戦国武将が選択したのは、不名誉な生より、名誉ある死…。武将たちは、死をどのようにとらえていたのでしょうか。

遺言状や辞世の句で読み解く、戦国武将の散り際の美学…。
今日は、「歴史人」特集の中から、「戦国武将の死 滅びの美学ランキング」をとり上げます。

■戦国武将の死ランキング

「人は一代、名は末代」、乱世に散った死に際の美学を検証!
もっとも美しく華々しいラストシーンを飾ったのは誰だ…

そんな巻頭句が付された特集記事が、「戦国武将の死 滅びの美学ランキング」です。
この特集では、数多くの武将の中から、壮絶に美しい死を迎えた武将を徹底分析。
それぞれの死生観や華々しい散り際、戦国史への影響などからランキングを算出して、誰がもっとも美しく散ったのかを明らかにしています。

なんとも興味深い特集ですね。戦国武将の死をランキングするなんて、これまで見たことがありません。
その1位にランキングされたのは、大河ドラマ「麒麟がくる」で注目のあの武将でした。

歴史人「戦国武将の死ランキング」。本誌に掲載されている1位から10位までの武将はこちら。

1位 松永久秀
2位 真田幸村
3位 清水宗治
4位 大谷吉継
5位 足利義輝
6位 斎藤道三
7位 高橋紹運
8位 山県昌景
9位 山本勘助
10位 男庭義直

そう来ましたか…。戦国武将の死ランキング、堂々の最高評価となったのは、戦国の梟雄・松永久秀
大河ドラマでは名優・吉田鋼太郎さんが演じて、長谷川博己さん演じる明智光秀に大きな影響を与えていますね。


麒麟がくる NHK大河ドラマガイド(前編)

他にも、注目の戦国武将がランクインしています。
さっそく、彼らがいかに生き、いかに散ったのかを見ていきましょう。

■松永久秀

まずは、1位「松永久秀」
「梟雄」とも称される戦国武将。一般的には、裏切りを重ね、主君に反逆した、悪役のイメージですよね。
それが大河ドラマでは、明智光秀の盟友として、乱世を颯爽と生きる知将として描かれています。どちらが本当なのでしょうか…。

松永久秀。出自は明らかではありません。
三好長慶によって才能を見出され世に出ると、メキメキと頭角を現します。
しかし長慶が病没すると、畿内支配の野望をあらわにし、後継の三好三人衆と闘争を繰り広げました。

彼が「梟雄」と呼ばれる理由は、その主君・三好氏への反逆、さらには自身が糸を引いたとされる将軍・足利義輝の殺害、そして後に臣従する織田信長への謀反があるからでしょう。
しかし、将軍義輝殺害については、久秀が直接関与していなかったという説もあり、「麒麟がくる」ではその説が採用されていました。


松永久秀 歪められた戦国の梟雄の実像

一方、早くから織田信長に重用された久秀ですが、次第に関係が悪化していきます。
やがて信長包囲網が強まると、ついに信長に反旗を翻します。ここから両者は戦国を揺るがす戦いを繰り広げました。

有名な久秀の散り際。それは1577年10月10日のこと。
織田軍の総攻撃に対して、久秀は信貴山城に籠城して寡兵で熾烈な抵抗を続けます。

信長は久秀に対して、天下一と称された「平蜘蛛の茶釜」を差し出せば命を助けることを約束します。
しかし、久秀は「平蜘蛛の釜と我が首は、信長公にお目にかけることはない」と言い残し、城内に残された爆薬を集めて着火。茶釜とともに爆死しました。

久秀には助命を受け入れるという選択肢もありました。
しかし彼が選択したのは「死」でした。信長に対する不信や不満…。壮絶な「死」を選択することで、自らの意志を世に投げかけ、自らの生き様を示したと言えるでしょう。
果たして久秀の選択は、明智光秀にどのような影響を与えたのでしょうか…。

■真田幸村

続いて、2位にランキングされているのが「真田幸村」
こちらも大河ドラマ「真田丸」で取り上げられた戦国武将。歴史ファンには人気の武将ですね。


(上田城にある真田六文銭の兜)

彼の人気の要因として、その生き様と同じくらい、その死に様があると思います。
強大な敵・徳川家康に敢然と立ち向かい、大阪冬の陣では真田丸を舞台に奮闘
最後の戦となった大阪夏の陣では、孤軍で家康本陣に突撃し、家康に死を覚悟させました。

まさに、ブレることなく義を貫いた武将。その最期は自らの死に場所を求めるような討死でした。
事破れた幸村は、「この首を手柄にされよ」と最期のひと言を残し、形ばかりの槍合わせをして首をとられたと言います。

大阪の陣までは、歴史上はほぼ無名だった真田幸村。
彼は、その見事な死に様によって、「日本一の兵」と称される英雄となりました。

■清水宗治

3位にランキングされているのが、「清水宗治」です。
1位の松永久秀、2位の真田幸村と比べると、知名度は低いのではないでしょうか。
ただ、その死に様は歴史に残る華麗さでした…。

清水宗治は毛利家家臣。備中高松城主として、羽柴(豊臣)秀吉と死闘を演じました
有名なのが、黒田官兵衛の献策による水攻めです。羽柴軍は城の周囲に土手を築くと、そのなかに川の流れを引き入れ、備中高松城を人工湖の中に沈めました。

秀吉は、宗治の切腹を条件に和睦することを、毛利方の小早川隆景に提示します。
一方の隆景は、宗治との信頼関係からその条件を飲みませんでした。

そのことを知った宗治の行動がなんとも潔い…。
「私が切腹することにより、毛利の御家が救われるのなら一命を投げ打ちましょう」
そう言って湖へ小舟を漕ぎ出すと、両軍7万人が見守る中で見事に切腹したのでした…。


(備中高松城跡)

まさに、滅びの美学…。彼らは死して、その名を歴史に刻むことになりました。
他にも誌面には、華々しく散っていた武将たちがずらり掲載。ランキングにある「誰ソレ」的な武将も、その死に至る経緯やエピソードを読むと胸に響くものがあります。

歴史人「戦国武将の死生観」、戦国武将の死ランキング。
先の見えない今の時代だからこそ読みたい特集ですね。おススメです。

ありがとう、歴史人! ありがとう、「戦国武将の死ランキング」!

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