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館長のふゆきです。
今日の夢中は、歴史人「新選組スペシャル」!近藤勇、土方歳三の壮絶な生き様——新たな史料が明かす「新選組隊士列伝」です。
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■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2026年3月号は、久しぶりに「幕末」にスポットライトを浴びせる特集が組まれました。
それが、「新・幕末史」と銘打つ保存版特集「新選組スペシャル」です。
天下に武名を轟かせた新選組とは何者か?という副題が付されています。
「新選組」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。浅葱色の羽織、誠の旗、あるいは悲劇的なラストシーン——。
しかし2026年の今、私たちが知っている彼らの姿は、最新の史料発見によって大きく塗り替えられようとしています。
本号は、激動の時代を駆け抜けた男たちの軌跡を、最新研究によって鮮烈に描き出す一大特集。
幕末にその名を馳せた剣客集団「新選組」は、なぜ幕府に命を捧げ、鉄の掟に準じて時に友を斬り、時代の波に呑まれながらも刀を振るい続けたのか。
「歴史人」2026年3月号が提示する「新事実」とともに、彼らの真実を辿る誌面旅へと出かけましょう。
■近藤勇と土方歳三
「歴史人」2026年3月号、保存版特集「新・幕末史 新選組スペシャル」。
「スペシャル」と銘打つだけあって、誌面には新選組ファンにはたまらない特集記事がずらりと並んでいます。
「新選組結成秘話」や「新選組の6大事件簿」、「局中法度と血の粛清」、「新選組 敗走と終焉の真実」などなど。
そんな特集記事の中から、今回特に注目したのが「新選組隊士列伝」です。新選組を知るには、隊士を知らなけれならない——。
ということで、この「新選組隊士列伝」をもとに、組織を支えた主要メンバーの出自や生涯を辿っていきましょう。
まずは、局長・近藤勇。多士済々な隊士を従えた「義」の漢と知られています。
その忠義心を養ったのは、幼いころ父親が毎晩朗読して聞かせた「三国志」だったのだとか。特に、劉備・関羽・張飛の義兄弟の生涯に感情移入し、関羽の死の場面では泣き崩れて、しばらく起き上がれないほどだったそうです。
そうした「義」を重んじる気風が若い剣士の心をとらえました。近藤の道場には、のちに新選組を支える若者が続々として集まってきます。
やがて彼らを従えて京都に上ると、持ち前の忠義心が会津藩から認められ、「新選組」という隊名を授かることになるのです。
実戦では無敵の新選組でしたが、その全盛期は長くは続きませんでした。慶応3年(1867年)徳川慶喜が大政奉還を宣言。幕府が終焉を迎えると、時代の奔流に新選組は吞み込まれます。
近藤勇は最後、下総流山で官軍に投降。板橋で斬首となりました。その最期は堂々としていたそうで、その漢ぶりがしのばれます。
辞世の句は「義を取り生を捨つるは吾が尊ぶところ」。勇の生き様が凝縮されているようです。享年35。

(近藤勇像/写真ACより)
続いて、「鬼の副長」と呼ばれた土方歳三。近藤勇とともに新選組を支え、武士としての矜持を貫きました。
土方の若い頃のエピソードとして、「11歳で商家奉公に出たものの長続きせず帰ってきた」というのがありますが、最新の研究では、14歳から23歳まで江戸で奉公をつとめ続けたということが分かってきたのだとか。
意外に我慢強かったんですね。一方で、となると、剣術の修業を始めたのは23歳以降ということになります。こちらも史料によると、25歳に近藤勇の天然理心流に入門したという説が有力。
そこから短期間のうちに、剣技はめざましい進歩を遂げ、わずか3年後の28歳のときに、免許皆伝一歩手前の「中極位目録」を取得しています。天賦の才をもっていたのかもしれませんね。
そんな土方も、時代の奔流には抗えず、鳥羽伏見の戦いでは、薩長を中心とした新政府軍を前に無残にも蹴散らされます。
それでも土方は戦いを止めませんでした。明治2年(1869年)、函館五稜郭の戦いで銃弾に倒れるまで、最後の最後まで武士として戦い抜きました。享年35。

(土方歳三像/写真ACより)
■山南敬助、芹沢鴨、沖田総司
さらに、総長を務めた山南敬助。近藤勇の道場時代からの盟友で、近藤に立ち合いで敗れたことから弟子入りして食客となりました。
近藤らとともに上京、新選組を結成すると副長、のちに総長に就任し、「知の柱」として隊を支えました。
しかし、近藤・土方との路線対立や、自身の理想とする武士道と組織の現実の乖離に悩み、突如として脱走。追っ手の沖田総司に捕らえられ、切腹しました。享年30。

(誠の旗/写真ACより)
そして、壬生浪士(新選組)結成時のリーダー、芹沢鴨。壬生浪士では近藤と2人で局長を務めましたが、筆頭局長は芹沢でした。
浅葱色の地に袖口に白く山形模様を抜いた羽織は、芹沢発案の可能性が高いといいます。ただ、その元手としたのは大阪の豪商からの借用金で、それも強引に金を出させたのだとか…。
これに限らず、粗暴な振る舞いが目立ち、組織の火種となった人物。その過激な言動を危惧した近藤・土方らによって、角屋での宴会の後に暗殺されました。享年37(諸説あり)。

(新選組ゆかり壬生寺/写真ACより)
続いて、新選組随一の剣士と言われる沖田総司。10歳前後に近藤道場の内弟子となり、やがて塾頭に就きます。近藤勇は兄弟子であり、ともに腕を磨きました。
近藤が上京すると、もちろん沖田も随行。新選組が結成されると、最年少で一番組頭を任されました。
池田屋事件をはじめ、数々の修羅場を潜り抜けましたが、不幸にも肺結核を患います。鳥羽伏見の戦いにも従軍できず、江戸の地で若くして病没しました。生年が明確でないため享年は諸説あり、24歳か25歳、あるいは27歳とも言われます。

(新選組隊士/イラストACより)
他にも、伊藤甲子太郎や永倉新八、斎藤一など、新選組ファンにはお馴染みの隊士が、ずらりと紹介されています。
まったく知らない隊士の名前も…。もっと詳しく知りたい方はぜひ、「歴史人」2026年3月号を手に取ってください。
今日の夢中は、歴史人「新選組スペシャル」!近藤勇、土方歳三の壮絶な生き様——新たな史料が明かす「新選組隊士列伝」でした。
ありがとう、新選組! ありがとう、歴史人!









