こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「歴史人」2020年12月号、「戦国武将の戦時と平時」です。
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2020年12月号は、「戦国時代の戦と暮らしがすべてわかる!」というコピーのつけられた特集です。
特集名は「戦国武将の戦時と平時」。
合戦の舞台裏から武将の衣・食・住まで、すべてを解き明かす特集です。
戦国時代の人々は日々、合戦に明け暮れていた…。
そんなイメージがありますが、もちろん四六時中、戦をしていたわけではありません。
彼らにも日々の暮らしがあり、日常生活がありました。
戦においても、実際の戦闘に至るまで、さまざまな準備や駆け引き、陣中生活がありました。
歴史人は、戦国時代の人々の生活を「戦時」と「平時」に分けて徹底分析。
普段触れられない合戦の舞台裏まで解き明かしました。今日は、その特集の中から気になる記事をピックアップして紹介します。
■戦時
まずは、知られざる戦国武将の生活を解き明かす「戦時」編。
軍隊編成や行軍方法、兵の動員方法、戦術と陣形から陣中生活まで、史料をもとに解説しています。
特に、「戦術と陣形」は、戦国ファンにはたまりませんね。
集団戦がメインとなった戦国の合戦は、名将・名軍師による戦術や陣形が勝敗を握りました。
本誌では、川中島決戦や関ヶ原合戦などにおける武将たちの戦術を、「陣形」から分析しています。
面白いのは、徳川家康と武田信玄が戦った「三方ヶ原の戦い」。
一般的には、武田軍2万5千、徳川軍8千という圧倒的な兵力差を前に、家康が完膚なきまでに叩きのめされたとされています。
しかし、陣形を見ると決してそうではないことが分かります。
それは信玄が、兵力で劣るときに敷く陣形とされる「魚鱗の陣」を採用していたから。
一方の家康は、兵力で上回るときの常道とされる、敵を包み込む陣形の「鶴翼の陣」を敷きました。
これは家康が、数万単位の援軍が到着したという偽の情報を流したから。
鶴翼の陣を採用したのも、味方の少ない兵力を多く見せかけられるという意図があったと想定されます。
実は、織田信長から派遣された援軍は3千人に過ぎませんでした。
信玄は、それに気づかずに安全策として「魚鱗の陣」をとりましたが、やがて兵力差を掌握すると一気に徳川軍を押し返しました。
この三方ヶ原の戦いは、通説のような信玄の圧勝ではなく、本誌曰く「冷や汗を流しながらの辛勝だった」。
面白いですね…。他にも合戦の始まり方や終わり方、知られざる陣中生活など、本誌では興味深い「戦時」の実態が描かれています。
■平時
続いて、知られざる戦国武将の生活「平時」編。
住居や衣服、食事、娯楽、1日の過ごし方まで、こちらも史料をもとに解き明かしています。
実際に戦国武将は、戦の無い平穏な1日をどのように過ごしていたのでしょうか。
戦国武将の北条早雲が書き残した史料から、そのリアルな生活をうかがい知ることができます。
起床は午前4時。まだ日の昇らない早朝のうちに起床。
屋敷内を見廻り、妻子・家来に用事を申し付た後、午前6時前には出仕。
午前6時から午後2時頃まで、城内で政務を執り行いました。
勤務時間は8時間。この辺りはいまのサラリーマンにも通じますね。時間はだいぶ前倒しですが…。
この勤務時間内に、家臣らと領国内における政務や決済、外交などの業務を行ったようです。
政務の合間を見て武術の稽古に励みました。この時期は文武弓馬が武士の常道でした。
午後2時から3時の間に帰宅すると、屋敷内外の点検、読書などをして、午後8時には就寝しました。
ちなみに、基本は1日2食。午前8時に朝食、午後3時に夕食というのが基本。朝食は弁当、夕食は家族と一緒にとったようです。
戦で指揮を執る姿ばかりがクローズアップされる戦国武将ですが、こうして平時をきちんと過ごすことで、家臣や家族から信頼を得ていたのでしょうね。
他にも本誌には、衣食住や娯楽・恋愛まで、あまり知られていない「平時」の生活が描かれています。
こちらも面白い…。ドラマなどで描かれる英雄たちが少し身近に感じられるようになりました。
歴史人「戦国武将の戦時と平時」、普段知ることのない合戦の舞台裏や戦国武将の平時の1日まで、なかなかに興味深い情報満載の特集でした。
ありがとう、歴史人! ありがとう、特集「戦国武将の戦時と平時」!