こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「歴史人」2019年4月号「江戸の名所100」です。
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない特集を届けてくれる雑誌「歴史人」。
なんと、創刊100号になるんですね。いつもありがとうございます。
2019年4月号は、創刊100号を記念した特集です。
「古地図と現代地図でたどる 江戸の名所100」。
「めぐってわかる江戸の生活・文化・遊び」と銘打って、江戸・東京の街の今昔を紹介しています。
付録もすぐれもの。広重「名所江戸百景」全119作品を旅すると題して、歌川広重が書いた名所の一覧が収録されています。
今日は、そんな特集「江戸の名所100」の中から、個人的に興味を引かれた街を紹介します。
■日本橋
まずは、開府以来の町人地「日本橋」です。
家康が江戸城を築いたときに最初にできた町人の街が日本橋界隈。
五街道の基点になる「日本橋」が架けられたのは、徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年なのだそう。
もちろん最初は木製ですが、その後、交通の要衝として、江戸の発展を支えました。
そんな日本橋ですが、びっくりしたのが、ここに「魚河岸」があったこと。
誌面には、にぎやかな日本橋の魚河岸を描く、葛飾北斎や歌川国安の絵が掲載されています。
魚河岸と言えば、築地や豊洲というのがいまの常識ですが、江戸時代は日本橋だったんですね。
なんでも、房総や伊豆沖でとれた鮮魚が船で運ばれて日本橋に荷揚げされたのだとか。
幕府におさめた魚の余りが庶民に売られたんですね。知らなかった…。
こうした賑わいもあってか、日本橋には、いまの三越につながる三井越後呉服屋や大丸、松坂屋などが軒を出します。
日本橋は、江戸の庶民の食と生活の基点にもなったようですね。
ちなみに、日本橋魚市場ですが、大正12年の関東大震災で焼失して築地に移転するまで、300年以上にわたって江戸の食を支えました。
■霞が関
つづいて、今は高層ビルが立ち並ぶ「霞が関」。
誌面には、歌川広重の浮世絵「江都名所 かすみがせき」が載っていますが、この絵を見ると、高台から遠方を望むと海が見えます。
なんと、江戸の世では、霞が関は絶景ポイントだったんですね。驚きです。
江戸時代には、黒田家や浅野家の上屋敷があった場所。
ここに奥州街道の関所が設けられていたことが、「霞が関」の名前の由来なのだとか。
ちなみに、近くの「六本木」の由来は、上杉、高木など木に関する名前を持つ6つの武家の屋敷があったからなのだとか。
そして、「銀座」は、この場所に幕府発行の銀貨を鋳造していた銀座があったから。
なんか、いまとは全然違う街だったんですね。そのギャップを楽しむ街歩きもいいかも。
■王子・飛鳥山
そして、桜の名所「王子・飛鳥山」。
誌面には、飛鳥山で花見を楽しむ女性たちを描く浮世絵が。
この飛鳥山。桜の名所となったのは八代将軍吉宗のときです。
吉宗が治める享保の時代、江戸城で育てられた桜の苗木270本が飛鳥山に植えられました。
さらにその翌年に1000本以上が植林されて、いまに続く桜の名所ができました。
「享保の改革」と呼ばれる幕政改革を断行した吉宗、実は庶民のための改革も進めています。
この桜の植林も、庶民の生活を娯楽で満たそうという吉宗の思いがカタチになったもの。
さすがは暴れん坊将軍。本当に庶民の味方だったんですね。
ぶらりと飛鳥山を訪れて、酒でも飲んだのかしら?そこで悪党とチャンチャンバラバラやってたりして。
誌面にはほかにも江戸の名所がたくさん紹介されています。
さすがは江戸八百八町。いろんな歴史、いろんな顔を見せながら、庶民の生活を支えてくれたんですね。
ありがとう、江戸の名所100!歴史人創刊100号、おめでとう!!