徳川家康(16)日蝕月蝕の巻!石田三成と徳川家康、深まる対立の行方

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今日の夢中は、徳川家康(16)日蝕月蝕の巻!石田三成と徳川家康、深まる対立の行方…です。
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■あらすじ

太閤・豊臣秀吉死す…。
天下統一を成し遂げた英雄の死は、新たな紛争の火種を産むことになりました。

秀吉亡き後の天下をめぐって激しく対立したのは、石田三成と徳川家康でした。
秀頼をあおぎ豊家の天下を画策する三成、一方あくまで天下泰平を第一義に自らの手で政務を進める家康。

両者はことごとく対立。それは、武断派武将と文治派吏将の溝を大きくしていくのです。
ついには、朝鮮出兵で苦渋を味わった加藤清正ら武将は三成襲撃の挙に出るのですが…。

朝鮮からの武断派武将の帰還、家康の「掟」違反となる私婚問題、両派の橋渡し役であった前田利家の死…。
秀吉の死によって、終焉を迎えたかに見えた戦国の世はふたたび不穏な空気に包まれていきました。

■三成と忌中の鯉

時代小説史に残る名著、山岡荘八「徳川家康」全26巻
第16巻「日蝕月蝕の巻」では、秀吉の死によって新たに生じた戦雲の芽吹きが描かれます。

徳川家康(16)

秀吉の死後、新たな紛争の火種となったのが、石田三成と徳川家康の対立でした。
三成は、家康が政権を簒奪しようとしていると警戒し、一方家康は、天下のために自ら政務を執る覚悟を固めます。

巻の冒頭、両者が相まみえる場面は、その後の両者の衝突を予感させるシーンとなっています。
三成は、秀吉の薨御を秘すために、策を練って関係者で鯉を食すこととし、家康にもその旨を伝えます。

その様は、「剛腹で勝気で、みずから秀才と自負しているだけに、なにごとも思いのままにせねば納まらぬ」風でした。
家康は、忌中の鯉という小細工に呆れる一方で、三成の才気だけに頼る生き方に恐ろしさを感じるのでした。

■家康と私婚問題

一方、はなから家康を敵視する三成は、家康排除の隙をうかがいます。
そして、家康が秀吉の定めた掟「私婚禁止」を破り他大名と縁組を進めていることを問題視し、家康を糾弾します。

これに対し、家康は「知らなんだ」と返します。さらに「媒酌人から届出も済み、各々方もとうにご存じのことと思うていた」とも。
これは家康が一枚も二枚も上手。三成側では数日にわたり周到に準備した詰問は、ものの2分で終わったのでした。

さらに使者の帰り際に「そうそう」と呼び止めると、事次第で十人衆(五大老五奉行)から除くと口上したことについて、次のように述べたのでした。

これだけはハッキリといい添えておかねばなるまい。この家康を十人衆より除けなどとは、それこそ、秀頼公を輔佐せよと仰せられた太閤の遺命に違背するもの。きっと向後は慎むようにとお伝え願いたい。

これは恫喝ですよね…。使者は何も言い返すことはできませんでした。

(写真はイメージです/写真ACより)

本書では、この私婚問題は、三成の不遜な態度を改めさせる意図が家康にあったとしています。
改めない限り武断派と文治派の争いは終息しない…。家康と秀吉子飼い諸将の接近は戦乱抑止につながる…。三成がそうした時勢に気づくかどうか、家康は賭けてみたのでしょう。

しかし、残念ながら三成は変わりませんでした。なにしろ、「わしは、太閤すら思うのままに動かして来た男なのだ」とまで言う人物…。
その自尊心と過信、さらには時代を読む感覚の欠如が、やがて大きな戦乱を招いていくのです。はたして、秀吉亡き後の天下の行方は?家康と三成の対立の行方はいかに…。

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