歴史人「敗者の日本史」!明智光秀、今川義元、北条時行…敗者たちの生き様

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館長のふゆきです。

今日の夢中は、歴史人「敗者の日本史」!明智光秀、今川義元、北条時行…敗者たちの生き様です。
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■歴史人

いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」
2024年7月号は、歴史ファンの興味をかき立てる特集が組まれました。

それが、彼らは本当に憎まれるべき敵なのか?保存版特集「敗者の日本史」です。
蘇我氏はなぜ悪者にならなければならなかったのか、平家滅亡に至る9つの岐路、武田家を滅ぼした信玄の「思惑」と勝頼の「苦悩」など…。

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歴史の教科書に書かれているのは、ほぼほぼ勝者が自らの正当性を強調し歴史として残した「正史」です。
その中では、敗者は悪者として貶められることも少なくありません…。

はたして、歴史の真実はそうなのか。敗者側から見た歴史はどうなのだろうか…。
歴史人が、勝者によって隠された敗者の歴史をひもとき、歴史の真実に迫ります。

■明智光秀

本書では、古代から戦国時代まで、さまざまな「敗者」たちが取り上げられています。
物部氏、蘇我氏、平氏、北条氏、今川氏、武田氏、後北条氏ほか。これら敗者は、勝者によって作られる歴史のなかで、不当に貶められることが多い…。

その代表格とも言えるのが、明智光秀でしょう。勝者の歴史では、許しがたい逆臣とされる光秀…。
いっときの激情に駆られて主君・織田信長を弑し、わずか3日しか天下を手にできなかった愚将などと蔑まれますが…。

(明智光秀像/京都亀岡)

歴史人は、敗者の側に立って光秀の行動を再検証します。光秀は激情型でも無能でもない、むしろ温和で用意周到だった…。
本書では「用意周到だった明智光秀の誤算」というタイトルで、光秀が勝者になれなかった理由を解き明かします。

本書が指摘する光秀が犯した誤算は5つ。信長・信忠父子の遺体を発見できなかったこと、秀吉が大返しで想定より早く畿内に戻ったことなどなど。
たしかに、信長の首を三条河原で晒していれば、事態は大きく変わったかもしれません。それができずに巷に信長生存説が流布したことは、光秀の思惑を大きく狂わせました。

それが影響したのか、信長に仕える以前からの絶対的な盟友・細川藤孝が、光秀に与することを拒否したことも誤算の一つ。両者の息子・娘が婚姻関係にあったにも関わらずです。
光秀は、用意周到な切れ者でしたが、人を統べる徳はなかったのかもしれません…。結局、光秀のもとに馳せ参じる与力武将は誰一人いませんでした。

■今川義元

同じように敗者として不当な評価を受けているのが、桶狭間で命を落とした武将・今川義元です。
小説やドラマでは、貴族的な京文化に憧れる凡庸な武将と描かれることが多い義元ですが、兄との家督相続争いに勝利し当主となり、軍事・外交・内政に秀でた「東海第一」と称される戦国大名でした。

(今川義元像/写真ACより)

本書では「東海一の戦国大名・今川義元はなぜ桶狭間で敗れたのか?」というタイトルで、桶狭間の敗因を分析しています。
本書が指摘する義元の敗因は4つ。情報収集を怠ったり、前哨戦の勝利が油断を招いたり、狭隘すぎた戦場だったり…。

情報、軍事、地形など、決して誤ってはいけない判断を、東海一の弓取りと称された義元が誤りました。
むしろ「東海一」と称されたことが誤りを招いたのかもしれません。驕り、油断、怠慢…。いまにも通じる敗者の法則ですね…。

桶狭間における戦力は、織田軍2千に対して今川軍2万。数として圧倒していたことから、義元は情報収集を怠りました。
信長が義元の位置を正確に把握していたのに対し、義元は信長の動きを全く察知していませんでした。しかも、義元が信長を威圧するために「輿」に乗っていたことが皮肉にも自身の位置をさらけ出すことになりました。

さらに、前哨戦で圧倒的な勝利を収めたこと(織田方の鷲津砦・丸根砦を半日で落とす)が、さらなる油断を招きました。
義元は勝利を確信して、戦場で酒盛りをしたことが史書から伝わります。戦いが始まったばかりなのに勝ったつもりでいたんですね…。東海一ゆえの驕り、敗れるべくして敗れたと言えるでしょう。

■北条時行

時代をさかのぼって中世。足利尊氏が六波羅探題を滅ぼし、新田義貞らが鎌倉を落とし、鎌倉幕府は滅亡しました。
ここで敗者となったのが、幕府の執権として絶大な権勢を誇っていた北条氏です。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で鮮烈な印象を残しましたね…。

北条得宗家(本家)の高時は、一族や家臣らと共に自刃。ここに鎌倉北条氏は滅亡しました。
勝者から敗者へ…歴史に消えゆくかに見えた北条氏ですが、それに抗うように一人の若者が登場します。

それが、北条高時の子、北条時行です。鎌倉を脱出し信濃に匿われていた時行は、諏訪頼重の支援を受けて蜂起します。
信濃の兵を率いて猛然と南へ進軍、立ちはだかる足利直義らの軍勢を蹴散らし、ついに宿願の鎌倉入りを果たしました。

逃げ上手の若君(1)

このとき時行はまだ10歳に満たない少年…おそるべき御曹司です。最近、漫画「逃げ上手の若君」で注目を集めていますね。
ただ、勢いに乗る若君も、さすがに老練な足利尊氏にはかないませんでした。時行軍は京から東下してきた尊氏軍に一方的に押し戻され壊滅しました。

しかし時行は辛くも脱出し、その後も反足利闘争を続けます。敗れては逃亡、蜂起を繰り返して、南北朝時代に大きな爪痕を残しました。
なんと、この後も2度、鎌倉に攻め入って奪還に成功しています。しかし3度目の鎌倉入りの後に、足利方に捕えられ、鎌倉龍ノ口で処刑されました。


他にも、魅力あふれる敗者たちがずらり紹介されています。
武田勝頼、北条氏政・氏直、蘇我入鹿…。勝者の歴史のなかでは、真っ当な評価を受けられない敗者たち…。

彼らはいかに生きて、いかに滅んだか。その生き様にこそ、学ぶべきものが多いように思いました。
今日の夢中は、「歴史人」2024年7月号の特集「敗者の日本史」、彼らは本当に憎まれるべき敵なのか?でした。

ありがとう、歴史人! ありがとう、特集「敗者の日本史」!

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