歴史人「江戸500藩変遷事典」藩の運命は殿様次第?名君&暗君ランキング

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館長のふゆきです。

今日の夢中は、歴史人「江戸500藩変遷事典」藩の運命は殿様次第?名君&暗君ランキングです。
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■歴史人

いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」
2023年1月号は、別添付録として「徳川家康カレンダー」が付けられた江戸時代特集。

千葉県は46藩あった?淡路島は兵庫県ではなく徳島県だった?などなど…。
ご当地藩のすべてがわかる!保存版特集「江戸500藩の変遷辞典」です。


歴史人2023年1月号

江戸時代全般を通して約500の藩が存在しました。
その中には改易や断絶で途絶えた藩も含まれていて、実際の数はおよそ260~280藩で推移したといいます。

それでも多いですよね…。これは、戦国期の領地を奪い合う体制から、幕府のもとで大小多くの大名が領国を統治する体制に移行したことが大きいです。
いわゆる幕藩体制と呼ばれる、将軍(幕府)と大名(藩)の主従関係。幕府は、大名に領国経営を任せる代わりに、参勤交代など厳しい統制をかけました。

誌面には、そうした大名統制の仕組みやその変遷、藩運営の実態などが記されています。
徳川家康は、信長や秀吉を影で支えながら、この幕藩体制の仕組みを構想していたのでしょう。さすがはホトトギスが鳴くまで待った家康…。この仕組みが260年続く江戸泰平の世を築きました。

■名君ランキング

そんな幕藩体制において領国経営を任されたのが、各藩の領主…「藩主」です。
どんな理想的な統治システムであっても、おらが藩の殿様によって領国経営は良くも悪くもなりました…。

誌面には、そんな藩主の採点表「江戸の殿様 名君&暗君ランキング15」が掲載されています。
これが何とも面白い…。知ってる人も知らない人もいますが、どんな藩主がランキングされているか紹介しましょう。

まずは「名君ランキング」。堂々の第1位に選出されたのは、会津藩藩主「保科正之」(在位1611~1672年)。
2代将軍・徳川秀忠の庶子でありながら、その事実は隠され保科家の養子へ…。その後、異母兄の3代将軍・家光の信頼を得ると、生涯将軍家への忠誠を尽くしました。

彼は領国経営においても類まれな手腕を発揮しました。飢饉の相次ぐ会津藩で備蓄米の制度を導入したり、会津の名産品を保護する経済振興策を取ったり。
さらには、領内の高齢者に「養老扶持」を与えるという当時としては珍しい福祉制度を導入。その政治姿勢から「驕らぬ無私」と評されました。どの時代にも必要なリーダーですね。


名君 保科正之/中村彰彦

名君ランキング第2位は、岡山藩主「池田光政」(在位1632~1672年)。
この人も、領民を第一に考え、領民のための治世を進めました。新田開発、殖産興行に尽力、日本最古の学校と言われる「閑谷学校」を創設しました。

続いて第3位は、米沢藩藩主「上杉鷹山」(在位1767~1785年)。
「なせば成る、なさねば成らぬ」の言葉で有名な名君。決死の藩政改革を推し進め、倒産寸前の藩財政を立て直し、国と領民を救いました。

第4位には福岡藩藩主「黒田長政」(在位1606~1623年)、第5位には佐賀藩藩主「鍋島直正」(在位1830~1871年)。
いずれも産業振興に尽力、先見の明を持った名君です。第6位以降は、本誌をご覧ください。

■暗君ランキング

一方、家臣も領民も大迷惑した「暗君ランキング」…。
この不名誉なランキングの第1位に選ばれたのは、駿府府中藩藩主「徳川忠長」(在位1618~1632年)。

この忠長は、名君1位に選ばれた保科正之と同じ徳川秀忠の子ですが、こちらは生母お江に溺愛され、一時は将軍候補とまでなりました。
しかし、その立場をわきまえず、「狂人」と呼ばれるほど凶暴な行為を重ねました。

小姓を突然手討ちにしたり、家臣の子や坊主を殺害したり、神聖な神社で生き物を大量殺傷したり…。
その乱暴狼藉の数々は収まるところがありませんでした…。ついには家光により改易されると、幕命により切腹となりました。


徳川忠長/小池進

第2位は、福井藩藩主「松平忠直」(在位1607~1623年)。こちらも、結城秀康(家康の次男)を父に持つ家康の血統です。
父の死後、13歳であとを継ぎますが、藩内で内紛が発生。忠直は、それを収めるどころか、酒色におぼれ、無実の家臣や農民を手討ちに…。果ては家臣の元妻に手を出し、元妻がそれを拒むとその一族を殺しました…。

第3位は、古賀藩藩主「松平忠之」(在位1686~1693年)。
こちらも13歳で藩主に就きますが、幕命により蟄居幽閉中の反幕思想を持つ熊沢蕃山に傾倒。これを幕府の詰問されると、突如自らの髷を切り落とす行為に出て改易…。危険思想に感化され、己の身を滅ぼすことになりました。

第4位の紀伊藩藩主「徳川重倫」(在位1765~1775)は、実在した「暴れん坊将軍」。
徳川御三家の当主とは思えない傍若無人ぶりで、家人らに刀を振り回しながら屋敷を走ったといいます。30歳で隠居を命じられました…。
もはや空いた口がふさがりませんが、まだまだ暗君はいます。5位以下は本誌をご覧ください。

今日の夢中は、歴史人特集「江戸500藩変遷事典」。その中から特に「名君&暗君ランキング」をとり上げました。
これからの時代は、ぜひ名君がリーダーシップを発揮してほしいですね…。

ありがとう、歴史人! ありがとう、特集「江戸500藩変遷事典」!

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