こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「歴史人」2020年4月号、「日本史の謎100」です。
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2020年4月号の目玉は、歴史好きの好奇心をかき立てる特集です。
「日本史の謎100」。
サブタイトルは「古代から幕末維新まで、歴史の最新論点はコレだ」。
歴史を甘く見てはいけません…。
新しい史料の解析や研究が進み、これまでの定説が覆されたりしてるんです。
学校で習った歴史はもう古い。
史料の中だけに潜む歴史の真実を解き明かす、「歴史人」の総力特集。
古代、中世、戦国、江戸、幕末の5つの時代から、「日本史の謎100」を取り揃えています。
今日は、そんな「日本史の謎100」の中から、個人的に興味を引かれた謎をとり上げます。
■邪馬台国はどこにあったのか
まずは「古代」から、いまだ論争の続く謎、邪馬台国はどこにあったのか。
畿内説や九州説など諸説あり、女王・卑弥呼の存在を含めて、古代ファンにはたまらないロマンですね。
本誌では、そんなロマンなど気にせず、中国の「魏志倭人伝」に記載されている距離を分析して所在地を推計。
邪馬台国があった場所は、九州の「筑紫平野で問題はないだろう」と言い切っています。
一方で、その「魏志倭人伝」の記述から、邪馬台国は地方政権である可能性が高いことを指摘。
九州とは別に、畿内に日本列島の中心たる「倭王権があったとみてよい」とも言っています。この王権は、魏ではなく呉に朝貢していた可能性があるとも…。
当時の中国は魏・呉・蜀の「三国志」時代。魏じゃなくて呉が勝ち残っていたら、違う古代日本の姿が見えたのかもしれませんね。
■鎌倉幕府成立は1192年?
続いて「中世」から、鎌倉幕府が創建されたのは何年なのか。
「イイ国つくろう鎌倉幕府」で諳んじた1192年説は、いまや間違ったものという考え方が主流…。
1192年は、源頼朝が天皇から征夷大将軍に任命された年。
このときすでに幕府は成立していたわけで、鎌倉時代はもっと前から始まっていたということです。
教科書などでは、頼朝が全国に守護・地頭を設置し、全国に支配を伸ばした1185年説をとっているようです。
ただ、他にも諸説あり。南関東武士団の多くが頼朝に従った1180年説、公文所(後の政所)などの政治組織が設置された1184年説など。
イイ屋号?イイ椰子?まだまだ歴史の定説は変わるかもしれません…。
■なぜ綱吉は「生類憐みの令」を出したのか
そして「江戸」から、「天下の悪法」とも批判される「生類憐みの令」。
人間より犬のほうが偉いなんて…。なぜ将軍・徳川綱吉は「生類憐みの令」を出したのか。
これも史料を読み解いていくと、悪法とは異なる背景が見えてきます。
それは、綱吉が国民の教化を通じて、戦国の殺伐とした気風を払拭しようとしたということ。
儒学を学んでいた彼は、生き物を大切にする心から、社会の平和と文明化を実現しようとしたんですね。
ただ、そんな意図は民衆には伝わらず、「お犬さま」と怖気づいてしまうほどエスカレートしてしまいました。
そして綱吉の死後、生類憐みの令は廃止されることになります。
でも、この時代以降、日本ではむやみに鳥獣を殺すことや野蛮な風習がなくなりました。やっぱり悪法じゃなかったのかも…。
この他にも、大化の改新はあったのか、明智光秀は比叡山焼き討ちを主導したのか、坂本龍馬の船中八策はウソ、などなど興味深い謎が盛りだくさん。
なんてったて、その数100。読み応え満点です。日本史の常識をアップデートしてみませんか。
ありがとう、歴史人! ありがとう、日本史の謎100!