こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、歴史人「奥州藤原氏の栄華と没落」!兵どもが夢の跡…奥州藤原四代の真実です。
「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどころを綴る読書ブログです。あなたのお気に入りの一冊を見つけてみませんか?
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。
2024年3月号は、中尊寺金色堂建立900年を記念した特別編集。
それが、平泉はなぜ、黄金郷となったのか?と付された保存版特集。
東北史に迫る!「奥州藤原氏の栄華と没落」です。
かつて東北で栄華を極めた奥州藤原氏。
謎の多い一族ですが、その祖先は関東武士の魁のひとり藤原秀郷とされます。
そうした名門の子孫を誇る東北の一族が、前九年の役や後三年の役を経て、急速に台頭していきます。
その権勢は中央政権も一目置くものとなり、平氏、源氏に次ぐもう一つの強大な武家勢力となりました。
そんな奥州藤原氏は、どのようにして隆盛を築き、そして没落してしまったのか…。
歴史人が、中尊寺金色堂900年を迎える年を記念して「奥州藤原氏の栄華と没落」を徹底解析。歴史人の誌面から900年の時を遡りましょう。
■清衡と基衡
誌面には、奥州藤原氏をめぐるさまざまな記事が組まれていますが、なかでもこの頁は必読。
それが第1特集の「奥州藤原四代の真実とは?」です。
奥州藤原四代とは、奥州藤原氏の始祖となる清衡から、基衡、秀衡、泰衡と続く奥州の支配者の系譜です。
歴史人は、四代ぞれぞれの人物像を残された遺跡・遺骸や史料をもとに徹底解析しています。
まずは、初代・藤原清衡(きよひら)。奥州藤原氏の繁栄をもたらした清衡ですが、若き日から合戦に明け暮れました。
その戦いの人生は、父・藤原経清が源氏と清原氏の連合軍に攻められ、命を奪われたことに始まります。
その後、母が敵方だった清原武貞の妻とされたために、その子となり清原清衡を名乗ります。なんとも因縁深いですね…。
その因縁はやがて火を噴きます。異父弟の家衡と対立すると、一族の内紛が勃発。清衡は、熾烈な兵糧攻めの末に家衡を破り、奥州の支配者となりました。
清衡は、父の姓である藤原を称すると、陸奥の押領使に任官。本拠を平泉の地に構えます。
このとき清衡は、仏教文化を奥羽に広めるために、中尊寺と金色堂を建立しています。それが、今から900年前だったんですね…。
その偉大な父のあとを継いだのが、2代目・藤原基衡(もとひら)です。基衡は、貴族の欲しがる良馬を送るなどして、京の朝廷と良好な関係を築いたようです。
中央から派遣された国司と対立すると、朝廷に働きかけて解任させたりしています。結構なやり手ですね…。
そんな基衡の治世下で奥州は大きく発展していきます。中尊寺と並ぶ名刹・毛越寺ができたのもこの頃。
基衡は毛越寺の周囲に京都風の街並みを建設しました。戦いから和平の時代へ…。次第に奥州藤原氏の貴族化が進んでいったものと思われます。
■秀衡と泰衡
続いて3代目・藤原秀衡(ひでひら)。この秀衡のときに、奥州藤原氏は全盛期を迎えました。
この時代に平泉は、大寺院が建ち並ぶ「小京都」と呼ぶにふさわしい大都市になったと考えられます。
「策謀家」とも評される秀衡。後白河院・平氏・源氏の対立構造のなかで、どの勢力にも属さず独自の地位を確保しました。
しかし壇ノ浦で源氏が平氏を滅ぼすと勢力図は一変。源頼朝は奥州支配を目論んで秀衡に圧力をかけ始めます。
ここに、奥州藤原氏の命運を左右する武将が登場します。頼朝の弟・源義経です。
若いときに秀衡の庇護のもとにあった義経は、兄・頼朝に絶縁され追われるようになると、秀衡を頼って再び平泉に入ります。
頼朝が義経の引き渡しを要求、秀衡がそれを拒否するというギリギリの駆け引きを繰り広げるなかで、秀衡は没します。
そのあとを継いだのが4代目・藤原泰衡(やすひら)でした。このときの年齢は遺骸の調査などからおそらく20代…鎌倉と対決するにはあまりに若い当主でした。
一説には、秀衡が源義経を大将軍もしくは主君とするように遺言したと言われます。
ただ歴史人の見立てでは、「秀衡が、奥州の統轄権を義経に譲ったとは思えない。彼は奥羽の大軍を義経に指揮させれば、鎌倉軍勢に勝てるかもしれないと夢想したのだろう」とのこと。
しかし、そんな秀衡の夢想も実現することはありませんでした。泰衡は、度重なる頼朝の義経引き渡し要求に屈服。
義経の居館を急襲すると義経妻子を自害に追い込み、その首を鎌倉へ送り恭順の意を示しました。これで許されると思ったのでしょうか…。
一枚も二枚も上手の頼朝は、許すどころか家人の義経を許可なく討伐したことを理由に、大軍を編成して奥州に攻め込みました。
泰衡は本拠の平泉館を焼いて北方に逃げると、津軽をめざす途上で家来に裏切られて殺害されました。栄華を誇った奥州藤原氏の最後としては、あまりに稚拙で呆気ない幕切れでした。
誌面には他にも、奥州藤原氏の前史にあたる阿弖流為(アテルイ)と朝廷の攻防や、前九年・後三年の役の詳細などが記されています。
この辺りは多く取り上げられる内容でないだけに、歴史ファンにはたまりません。さらには、時代が「鎌倉殿の13人」や「光る君へ」と重なるところもあり、大河ドラマファンにも興味深い内容になっています。
今日の夢中は、歴史人の特集「奥州藤原氏の栄華と没落」でした。
ありがとう、歴史人! ありがとう、特集「奥州藤原氏の栄華と没落」!