こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、「歴史人」2019年3月号「【真説】新選組」です。
■歴史人
いつも歴史ファンにたまらない特集を届けてくれる雑誌「歴史人」。
2019年3月号の特集は「保存版特集【真説】新選組」です。
表紙には、「池田屋事件から鉄の掟、組織編制、給料まで!新選組のすべてを読み解く」と書かれています。
そのコピーの通り、新選組に関する情報が盛り沢山。「保存版特集」と銘打つのにふさわしい特集が届けられました。
「新選組」とは、幕末期に反幕府勢力の取り締まりに奔走した武装組織です。
近藤勇、土方歳三、沖田総司…。TVドラマや小説などでも数多く取り上げられていますね。
本誌の冒頭では、作家の童門冬二氏が「騒乱の幕末に「剣」と「誠」を貫いた男たち」を寄稿しています。
近藤や土方が何のために戦い、何のために散ったのか。
そこには「誠」の一字に示される、純粋な徳川への忠誠や「男の美学」があったと言います。
そんな新選組の大特集。
盛りだくさんの記事の中から、個人的に心沸いた記事「天下に武名を轟かせた新選組6大事件録」を取り上げます。
■新選組事件録
「天下に武名を轟かせた新選組6大事件録」。
もとは名もなき刺客集団であった新選組が、いかにして歴史に名を残すことにできたのか。
そこには、彼らの武名を轟かせるに至ったいくつかの事件がありました。
本誌で取り上げているのは6つの事件。今回は、その中のいくつかを紹介しましょう。
まずは、「大阪力士との乱闘事件」。
まだ新選組の名の無い浪士組の頃。組を統率しているのは芹沢鴨でした。
この事件、きっかけは「道を譲る、譲らない」という些細なことだったようです。
それが、芹沢ら浪士組7人と力士30人もの大喧嘩に発展します。
この異種格闘技戦で勇躍したのが、芹沢や斎藤一ら浪士組でした。
数的不利をものともせず、力士側に15人の重軽傷(1人は翌朝死亡)を与えるほど、圧倒しました。
芹沢や斎藤って、剣の腕前も腕っぷしも強かったんだろうな…。
浅田次郎の小説でもこの2人、よく登場しますよね。でも、力士事件はくわしくは知らなかった…。
この乱闘事件をきっかけに浪士組の知名度が大きく上がります。
入隊希望者も大きく増加。浪士組は、のちの新選組につながる土台を築いたと言えます。
■大和屋焼き討ち事件
この力士との乱闘事件に続いて起こったのが、「大和屋焼き討ち事件」です。
芹沢鴨は、京都の豪商・大和屋を35人の隊士を率いて大和屋を襲撃。
屋敷や蔵に放火して、焼き払いました。
その理由は、大和屋が「生糸を買い占め、異人に売って莫大な利益を収めた。ゆえに天誅を加える」というもの。
ただ現実は、芹沢が大和屋に資金融通を謝絶されたため、腹いせに焼き討ちしたものでした。
この辺の芹沢の暴走ぶりは、のちの近藤による芹沢粛清につながります。
ただ、この焼き討ち事件も、庶民によって大きく支持されました。
…というのも、開国によって諸外国との貿易が開始されると、物価が乱高下。庶民の生活を圧迫していました。
大和屋焼き討ち事件は、庶民にとっては暴利をむさぼる悪徳商人への天誅と受け容れられたんですね。
■8月18日政変
さらに浪士組の名を轟かせた事件が、「8月18日の政変」です。
これは、幕府と薩摩藩による、京都から長州藩ら尊攘派を追放するクーデター。
1860年8月18日、尊攘派の公家の参内が禁じられ、長州藩は御所警備の任務を解かれます。
長州藩士らは突然の仕打ちに抵抗しますが、このとき力を発揮したのが浪士組でした。
実戦経験がなく右往左往する幕府や諸藩の武士たちを尻目に、数々の修羅場をくぐり抜けている浪士組は毅然と対応。
見事に長州藩士を御所から追い払いました。
この活躍をいたく感心した朝廷は、彼らに歴史に残る名前を下賜します。
そうです。それが「新選組」。
その後の活躍ぶりは、歴史ファンならずとも周知の通り。
同誌ではもちろん、その後の池田屋事件や禁門の変なども取り上げています。
本誌には、他にも新選組に関するあれやこれやが盛り沢山。
結成秘話から新選組の悲運の最期まで、新選組の歩みをつぶさにトレースすることができます。
あらためて、その生きざまを知ることができました。
童門さんが指摘する通り、それは、「誠」の一字に示される純粋な徳川への忠誠や「男の美学」。
今なお新選組が人気があるのは、そうした「誠」の生きざまが共感を呼ぶからかもしれません。
ありがとう、新選組! ありがとう、歴史人!